(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【Release date:2011年12月07日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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真実が知りたい『魅力を失い始めたフェイスブック』


私は「ツイッター(Twitter)」に魅力は感じませんでしたし、「mixi(ミクシィ)」も初期の「パソコン通信」のインターネット版程度でしかないと感じていました。

ソーシャル・ネットワーキングサービスとしては、「Facebook(フェイスブック)」が世界で拡大の一途を辿り、日本でも勢力図を拡大していると報じられています。

経済紙面を賑わしているのは、「Facebook(フェイスブック)」がIPOを計画していて「7800億円規模」になるだろうということで、時価総額は7兆8千億円程度を想定しているということです。

驚くような金額なのですが、それだけの価値があると市場が判断するのでしょうか。


コラム:魅力を失い始めたフェイスブック

米フェイスブックは強引に前進している。世界で約8億人のユーザーを抱え、新規株式公開(IPO)を計画中だと繰り返し報じられている。携帯電話「フェイスブックフォン」を発売する計画を温めており、モバイル分野でも存在感を強めている。

しかし一方で、ユーザーの情報共有をさらに進める取り組みに対しては反発も出ており、それが今後の計画のネックになる可能性がある。

-中略-

フェイスブックが情報共有で物議を醸したことは過去にもある。2007年に発表したオープングラフの前身「ビーコン」がそれだ。ビーコンでは、ユーザーが利用を承諾するオプトイン方式ではなく、利用したくない場合に拒否するオプトアウト方式を採用して批判を浴びた。やがてフェイスブックはユーザーにオプトインさせることを学習した。

しかしさらに大事なのは、オンライン上のプライバシーに関するユーザーの考え方をフェイスブックが変えたことだ。現在では、フェイスブックは社会的風景に進化しつつあり、そこでは個人情報の共有は当たり前になりつつある。人々は情報共有を学ぶか、もしくはフェイスブックから距離を置くかを選択することになる。

フェイスブックに対する最近の一連の批判は、それまでのものとはやや趣が異なる。フェイスブックがソーシャルウェブを取り違えていることを問題視しているのだ。

フェイスブックの成功の重要なカギの1つは、ザッカーバーグがユーザーに対し、ソーシャルネットワークをどう使うべきか伝えようとしなかったことだ。シンプルに徹し、変更はユーザーのオンライン行動が変化した場合にとどめてきた。ザッカーバーグの信条は、たとえ最初は嫌悪感があっても、ユーザーはじきに抵抗なく個人データを共有するようになるというものだった。

フェイスブックがプライバシー論争に巻き込まれるのは毎年のことように思える。それでも成長を続け、次の年には、ユーザーがさらに情報を共有したくなるような新たな機能を追加してくる。その意味では、ザッカーバーグは正しかった。多くの人がより自由に情報を共有するようになった。

だからこそ、フェイスブックがユーザーを取り残し始めて、彼ら自身の言葉で言うところの「摩擦ない未来」へ導こうとしているのは奇妙に映る。最新のフェイスブック・バッシングは今週末、CNETのモリー・ウッドが「フェイスブックは共有を破壊している」と攻撃したことから始まった。彼の論点は簡単に言えば、フェイスブックがコンテンツの質より量を重視しているということだ。

また、フェイスブックでヘッドラインをクリックすると、新しい共有アプリのインストールを聞いてくる不要なポップアップが立ち上がることへの不満も聞かれる。

ソーシャルメディアサイト上では、新機能の追加がユーザー側に行動の変化を求めることは珍しいことではなく、通常はユーザーの不満の声も時間とともに消えていくものだ。

しかし、フェイスブックの最新機能は、より深く、より根本的な行動の変化を要求しているように感じさせ、直感的に違和感を抱かせる。フェイスブックの新機能が示すような受動的経験は、ソーシャルウェブ上での日常生活の共有とはかなり異質なものだ。摩擦は日々のコミュニケーションの一部であり、日常生活では沈黙もまた情報だ。しかし、もうフェイスブック上ではそうはいかない。

自動的に共有される多くの情報には前後の文脈が欠けている。ロブ・カーダシアン(O・J・シンプソン事件裁判の弁護士)に関する記事を間違ってクリックしたとする。あるいは、恋人が自分のアカウントを使ってパット・ベネターを聞いていたとする。オープングラフで表示される「ロブ・カーダシアンの記事を読んでいる」、「パット・ベネターを聞いている」という情報を見た友人には本当のことは分からないし、こうした情報はオンライン上でいつまでも残り続けるかもしれない。

メディアも同じような問題を抱えている。英インディペンデント紙は、フェイスブックの新たな情報共有機能を自社サイトに組み入れたところ、最も多く共有され、閲覧された記事は、1990年代後半のタブロイド紙のような見出しの記事となった。フェイスブックはユーザーの今現在の関心事をあぶりだす代わりに、時代に関係なく大衆受けする記事のリアルタイムアーカイブを作り出している。

-中略-

ただ、フェイスブックが抱えるさらに大きな問題は、彼らの直感が鈍くなりつつあり、彼らの目指すソーシャルウェブが、ユーザーが真に欲するものから逸脱しつつあるように見える点だ。それは、フェイスブックのソーシャルウェブ王者としての地位が、他のソーシャルネットワークに狙われる可能性を意味する。

恐らく会社は岐路に立たされている。フェイスブックはウェブ上で最も重要なソーシャルネットワークになることができる。もしくは、われわれがウェブをどう利用するか決めようとすることもできる。ただし、その2つを長く上手に両立させていくことはできないだろう。

(22日 ロイター)

*筆者はサンフランシスコ在住の記者。記事は米経済誌フォーチュン、CNN、ニューヨーク・タイムズ紙やワシントン・ポストなど多くのメディアに掲載されている。

*本コラムは筆者の個人的見解に基づいて書かれています。

-中略-

(2011年11月25日:Kevin Kelleher:http://jp.reuters.com/article/jp_column/idJPJAPAN-24342220111125)


いずれにしろ、インターネット・ビジネスモデルと成功しているかに見える「ツイッター(Twitter)」、「mixi(ミクシィ)」「Facebook(フェイスブック)」ですが、所詮はその内部的な情報と連動させた「宣伝効果」であると分析しています。

つまりそれぞれのサービスには無価値であり、メンバーの個人情報こそが最大の価値があるということでしょう。

メンバーの個人情報によって、企業の宣伝が放たれているのです。

それこそ、日本に見られるラジオやテレビや新聞業界や雑誌などといったビジネスモデルと何ら代わりがないということです。

結局は無料で配信される情報には、企業の宣伝が収入となっているわけです。

「Google」のビジネスモデルも所詮は同様のものであり、大衆が集まるところに「宣伝効果」を求めるという1点に集約されるということでしょうか。

ソーシャル・ネットワーキングサービス中でいかなる情報が公開されようとも、資金を提供する企業の価値は、それを閲覧しに来る人が自社の商品やサービスを買ってくれることにしか興味はなさそうです。

無料ゲームなどはもっと詐欺に近い商法であるとの批判もありますが、それに価値を見出さなければ誰もお金を支払うことなど有り得ないでしょう。