(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【Release date:2011年09月03日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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真実が知りたい『ソブリン債務危機の根源』


この記事で知ったのですが「ソブリン債」というのは、政府発行の債券のことのようです。

日本政府の発行残高は、GDP比で約2倍に迫ろうとしているので、国民としては何とか凌いで欲しいと言うのが本音でしょう。

「すべてのソブリン債務危機の根源を語ろう」

ノーベル賞経済学者 エドムンド・フェルプス

タフツ大学教授 アマル・ビデ

民間金融機関が国家への融資を積極的に担うようになったのは1970年代以降のことだ。先鞭をつけたのはシティバンクで、当時のCEOウォルター・リストンが「国家は破産しない」と言い切ったのは有名な話だ。無責任な借り手がいれば、その相手方として、必ず無責任な貸し手がいる。繰り返されるソブリン債務危機のこの根本原因をどう解決すればよいのか。ノーベル賞経済学者のエドムンド・フェルプス コロンビア大学教授と金融システムに精通する気鋭の経営学者、アマル・ビデ タフツ大学教授が共同提言する。

ギリシャ債務危機は、およそ想像を絶するレベルで欧州諸国の財政を統合しなければ、ユーロは存続できないのではないかという疑念を呼び起こした。

だが、もっと簡単な道はある。各国政府が国際信用市場で無責任な借金を重ねるとしたら、相手方として、無責任な貸し手がいるはずだ。銀行規制機関は、すでに監督下にある金融機関に対して、そういう融資をするなと言えばいいのだ。

外国政府への融資は、無保証の民間債券やジャンク債への投資と比べても、多くの点で本質的にリスクが大きいと言える。民間の借り手は、多くの場合、住宅などの担保を提供しなければならない。担保により貸し手側のダウンサイド・リスクは制限され、担保とした資産を手放す恐れから、借り手はより賢明に行動するようになる。

だが、政府は担保を提供しない。それどころか、返済しようという主なインセンティブは国際信用市場を利用できなくなるのではないかという不安であり、それは困った借金癖から生まれるものだ。国内での課税や債券発行では歳出を常習的に賄えない政府は、海外からの巨額の借り入れを続けなければならない。その背景には、たいてい、深く根を張ったガバナンス不全(misgovernance)がある。

民間の債券は通常、債務者が無謀な賭けに出にくいようにする約定を伴っている。融資・債券約定では、債務者が最低でも一定の基準の自己資本ないし現金資金を維持することに同意するよう義務づける場合が多い。これに対し、政府発行債券にはそのような約定は付随しない。

同様に、民間の借り手が銀行融資を確保するために自らの財務状況について虚偽の表示をした場合には刑事罰を受ける可能性がある。証券関連法により、社債発行体は想定されるすべてのリスクを開示しなければならない。対照的に、ギリシャの混乱を見れば分るように、政府はとんでもない虚偽表示や詐欺まがいの会計処理をしても何のペナルティも受けない。

民間の借り手が債務不履行になると、破産裁判所が破産プロセス・企業再生プロセスを監督する。無保証の貸し手でさえ、なにがしかを回収する希望を持つことができる。だが国家については、清算プロセスや債務の再交渉を進めるための司法の場は存在しないのである。さらに悪いことに、国家が海外で起債した債券は、通常、その国家には管理できない通貨建てとなっている。つまり、通貨の価値を抑制することで債務負担を目に見えない形で徐々に減らしていくという選択肢はめったに使えないのだ。

政府発行債券の安全性を高めるものとして想定されているのが課税権である。これに対し、民間の借り手は返済義務を果たすために利益や賃金を稼ぐ権利を持っていない。とはいえ、課税権と言っても現実的制約がある。また外国の債権者に返済するために将来の世代の国民を拘束する倫理的・法的な権利が政府にあるか否かは問題である。

したがって国家への融資には底知れないリスクが伴う。そのリスクは、どのような結果にも耐えるという意欲のある専門的なプレイヤーによって担われるべきものだ。歴史的に、国家への融資は少数の大胆な融資家の仕事であり、彼らは抜け目なく交渉を進め、政治を熟知していた。港湾や鉄道を担保にして(あるいは軍事力の利用により返済を確保して)政府に融資を行ったという例もないわけではない。

だが、1970年代以降、(民間金融機関は)国家への融資を積極的に担うようになった。先鞭をつけたのはシティバンクで(同行のCEOウォルター・リストンが「国家は破産しない」と言い切ったのは有名だ)、膨大なオイルマネーをいかがわしい国家体制へと環流させた。緩い条件で巨額の融資を受けた政府はときに債務不履行に陥るという些細な事柄を除けば、伝統的な融資活動よりもはるかに美味しいビジネスだった(一部の銀行は、ほとんどデューディリジェンスの手続きも取らないままで、巨額の金額を融資できた)。

その後バーゼル合意により、政府発行債券は実質的にリスクフリーであるとされたことで、銀行はより多くの政府発行債券に食指を動かすようになった。各銀行に求められる準備金の額はわずかであり、彼らはギリシャなどの比較的利回りの高い国債にどんどん投資を積み上げていった。だが、これらの債券の格付けは非常に高かったとはいえ、無保証かつ実質的に取り立て不可能な債権について、そもそも客観的な評価を下せる者などいるのだろうか。

銀行が各国政府に対して融資を行ったことは、二重の意味で災難だった。まず、過剰な貸し付けが、特に無責任で腐敗した政府を抱える国家に対して積み上がっていった。そして、リスクの大半を、(たとえばヘッジファンドではなく)決済システムの円滑化において中心的な役割を果たしている銀行が負うことになったために、国家債務危機が広範囲に及ぶ弊害をもたらす可能性が生じてしまった。ギリシャの混乱は、ギリシャ国民のみならず、欧州全体の幸福を脅かすことになったのである。

国家債務危機と銀行危機とのあいだの結び付きを断つソリューションは単純である。借り手の返済意欲・能力の評価が不十分であるような銀行融資は規制すればよい。これはつまり、国境を越えた国家債務(あるいは、債務担保証券などあまりにも複雑な金融商品)が生じないということを意味する。

このシンプルなルールならば、欧州諸国の財政措置の複雑な再調整は必要ないし、新たな超国家的機関を創設する必要もない。政府による海外での借り入れが難しくなるのは確かだろうが、国民にとってそれは負担ではなく、良好な結果をもたらすだろう。さらに、国際的信用市場への政府によるアクセスを制限することは(そしてその帰結として、より厳しい財政規律を促すことは)、現実的には、もっと積極的で生産的な借り手を支援することになる。

こうした制約を導入しても、ポルトガル、アイルランド、ギリシャ、スペインといった国々における現在の危機を解決できるわけではない。だが、そろそろ欧州も世界全体も、弥縫策(びほうさく)をあれこれとつまみ食いするのは止め、真の構造的問題に取り組むべきときである。

翻訳/沢崎冬日、エアクレーレン

エドムンド・ストロザー・フェルプス(Edmund Strother Phelps)』

(2011年8月15日:ダイヤモンド・オンライン:http://diamond.jp/articles/-/13561)

「銀行が各国政府に対して融資を行った」の意味は、「国債」を購入したということでしょうか。

そうであれば、日本のように国際を国内の金融資産で補っている間は健全であるということなのでしょうか。

そういう意味から日本円が他貨幣に対するレートがあがっているということの裏づけであるということでしょうか。

米国政府がドルを金融危機に伴い、2.5倍の発行を行ったのに、日本銀行はまったく発行していないことを取り上げる方もいますが、円安へ導入するのに為替介入するよりも円を発行するほうが良いということでしょうか。

内容を読み解けるようにならなければ、金融の基礎もままならぬということになるのでしょうか。

単純であるにもかかわらず、問題が山積しているようです。