(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【Release date:2009年10月29日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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「国史跡 桜井茶臼山古墳」再調査


奈良県桜井市の「国史跡 桜井茶臼山古墳(3世紀末−4世紀前半)」を60年ぶりに再発掘した奈良県立橿原考古学研究所が2009年10月22日に朱一色に彩られた竪穴式石室や巨大な木棺を発掘した。

初期ヤマト政権の大王級の墓との説が強く、貴重な顔料であった水銀朱を大量に使っており、奈良県立橿原考古学研究所は「特別な古墳であったことが伺える」と指摘しています。

専門家の間からは「埋葬方法」「儀礼」などの実態に迫ることができる第一級の史料と評価する声が出ているとうことですが、石室の写真を見ると、ボロボロになった木棺はともかく、すごいなと思います。

「国史跡 桜井茶臼山古墳」の石室の内寸は南北6.75m、東西1.27m、高さ(最大)1.71mで、岩盤を堀くぼめた竪穴の中に、数千枚の板状の石材を整然と積み上げて床面や壁を築き、巨大な天井石を12枚載せてあったということで、石材は水銀朱が全面に塗布され鮮やかな色彩を伺える状態で残っている。

木棺は「コウヤマキ」丸太を半分に割ってくり抜いた「割竹形」で、底部が長さ4.89m分残っていて、復元すると長さ6.7m、直径1.1mで朱を全面に塗っていたと見られるということですが、直径が1.1mを越えるような「コウヤマキ」が日本に現存する場所は何処なのでしょうか。


桜井茶臼山古墳付近初期ヤマト政権関連遺跡が集中

桜井茶臼山古墳は、全長200mの大型前方後円墳。

1949年に石室が発見され、玉杖(ぎょくじょう)などの副葬品が多数見つかっている。

同、古墳のある奈良盆地東南部には、邪馬台国お有力候補地とされる纒向遺跡(まきむくいせき)や、卑弥呼の墓との説がある大型前方後円墳、箸墓古墳(はしはかこふん、箸中山古墳とも)全長280mなどの初期ヤマト政権にかかわるとされる遺跡が集中している。

橿原考古学研究所による今回の再調査では、6月に石室真上の丸太を隙間なく並べた垣根跡を発見。

埴輪(はにわ)の原型のひとつとする説がデルなど前期古墳を巡る議論が活発化している。

使用している数字等は、2009年10月23日の日本経済新聞等を参考にしています。

日本史の中でも「古墳時代」や「弥生時代」以前の歴史については、真偽のほどはともかく、文字が先日訪問した王仁博士が日本に持ち込んだといわれる時代までなかったためでしょうか。はっきりとしたものはありません。

当然ですが「古事記」や「日本書紀」は一面から見ると正しいというか、推奨できる記録であり、敗戦側の歴史は殆ど記されていないことは確実ですし、歴代の125代の天皇と比較しても古墳の数が多いのは、負けて滅んだ勢力の数であると考えるべきなのでしょうか。

規模や立派さと「古事記」や「日本書紀」の記載で天皇陵墓としていますが、まったく調査もしていないので解らない点も多いのでしょう。

藤井寺の「城山古墳」などは市民の憩いの場になってしまっていますし、藤井寺市津堂に鎮座(古墳後円部)する「津堂八幡神社(つどうはちまんじんじゃ)」などは『神社に建立する石碑に掘り出した石材を使用した』なんて書かれていたりします。

仁徳天皇陵も大雨で古墳が崩れて石室が発見されたりしています。

できればもっと調査して欲しいですね。

但し、研究のためとはいえ「墓暴き」ですからね。気をつけなくてはなりません。