(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【Release date:2009年04月10日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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天皇・皇后 両陛下金婚式(結婚50年)


「天皇・皇后 両陛下おめでとうございます。」

2009年04月10日は、両陛下に対してのお祝いの言葉しか思いつかないのですが、私は右翼でも天皇至上主義者でも皇室を特別視するものでもありません。

ちょっと政治レベルの低い日本の評価を、地に落とさないのが「天皇・皇后」の存在であると思います。以下は会見の全文です。他のページはそのうち消えてしまいますので、公開しておきます。


(問1)両陛下にお尋ねいたします。ご成婚の日から50年の月日が流れ、高度成長期からバブル崩壊、いくつもの自然災害や景気悪化など、世相、人の価値観も大きく変わる中、両陛下も皇室に新しい風を吹き込まれてきました。皇太子同妃両殿下として、天皇、皇后両陛下として夫婦二人三脚で歩んできたこの50年を振り返り、お二人で築きあげてきた時代にふさわしい新たな皇室のありよう、一方で守ってこられた皇室の伝統についてお聞かせいただくとともに、それを次世代にどう引き継いでいかれるのかもお聞かせください。

天皇陛下

結婚50年を迎える日も近づき、多くの人々からお祝いの気持ちを示されていることをまことにうれしく、深く感謝しています。ただ、国民生活に大きく影響を与えている厳しい経済情勢のさなかのことであり、祝っていただくことを心苦しくも感じています。

顧みますと、私どもの結婚した頃は、日本が多大な戦禍を受け、310万人の命が失われた先の戦争から日本国憲法のもと自由と平和を大切にする国として立ち上がり、国際連合に加盟し、産業を発展させて国民生活が向上し始めた時期でありました。

その後の日本はさらなる産業の発展に伴って豊かになりましたが、一方、公害が深刻化し、人々の健康に重大な影響を与えるようになりました。また都市化や、海、川の汚染により、古くから人々に親しまれてきた自然は、人々の生活から離れた存在となりました。

結婚後に起こったことで日本にとって極めて重要な出来事としては、昭和43年(1968年)の小笠原村の復帰と昭和47年(72年)の沖縄県の復帰が挙げられます。両地域とも先の厳しい戦争で日米双方で多数の人々が亡くなり、特に沖縄県では多数の島民が戦争に巻き込まれて亡くなりました。返す返すも残念なことでした。

一方、国外では平成になってからですが、ソビエト連邦が崩壊し、より透明な平和な世界ができるとの期待が持たれましたが、その後、紛争が世界の各地に起こり、現在もなお多くの犠牲者が生じています。

今日、日本では人々の努力によって都市などの環境は著しく改善し、また自然環境もコウノトリやトキを放鳥することができるほど改善されてきましたが、各地で高齢化が進み、厳しい状況になっています。

ますます人々が協力し合って社会を支えていくことが重要になってきています。私どもはこのように変化してきた日本の姿と共に過ごしてきました。様々なことが起こった50年であったことを改めて感じます。

皇后は結婚以来、常に私の立場と務めを重んじ、また私生活においては、昭和天皇を始め、私の家族を大切にしつつ、私に寄り添ってきてくれたことをうれしく思っています。

不幸にも若くして未亡人となった私の姉の鷹司(たかつかさ)神宮祭主のことはいつも心に掛け、那須、軽井沢、浜名湖でよく夏を一緒に過ごしました。姉は自分の気持ちを外に表さない性格でしたが、ある時、昭和天皇から私どもと大変楽しく過ごしたと聞いたが、どのように過ごしたのかというお話があったことがありました。

皇后は兄弟の中で姉だけを持たず、私との結婚で姉ができたことがうれしく、誘ってくれていたようなのですが、このときの昭和天皇が大変喜ばれた様子が今でも思い出されます。

私ども二人は育った環境も違い、特に私は家庭生活をしてこなかったので、皇后の立場を十分に思いやることができず、加えて大勢の職員と共にする生活には戸惑うことも多かったと思います。しかし、何事も静かに受け入れ、私が皇太子として、また天皇として務めを果たしていく上に大きな支えとなってくれました。

時代にふさわしい新たな皇室のありようについての質問ですが、私は即位以来、昭和天皇をはじめ過去の天皇の歩んできた道にたびたびに思いを致し、また日本国憲法にある、天皇は日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴である、という規定に心を致しつつ、国民の期待に応えられるよう願ってきました。

象徴とはどうあるべきかということは、いつも私の念頭を離れず、その望ましいあり方を求めて今日に至っています。

なお、大日本帝国憲法下の天皇のあり方と、日本国憲法下の天皇のあり方を比べれば、日本国憲法下の天皇のあり方の方が、天皇の長い歴史で見た場合、伝統的な天皇のあり方に沿うものと思います。

守ってきた皇室の伝統についての質問ですが、私は昭和天皇から伝わってきたものはほとんど受け継ぎ、これを守ってきました。

この中には新嘗祭(にいなめさい)のように古くから伝えられてきた伝統的祭祀(さいし)もありますが、田植えのように昭和天皇から始められた行事もあります。新嘗祭のように古い伝統のあるものは、そのままの形を残していくことが大切と考えますが、田植えのように新しく始められた行事は、形よりはそれを行う意義を重視していくことが望ましいと考えます。したがって現在、私は田植え、稲刈りに加え、前年に収穫した種もみをまくことから始めています。

学士院賞や芸術院賞受賞者などを招いての茶会なども、皇后とともに関係者と話し合い、招かれた全員と話ができるように形式を変えました。短時間ではありますが、受賞者、新会員みなと話をする機会を持て、私どもにとっても楽しいものとなりました。

皇室の伝統をどう引き継いでいくかという質問ですが、先ほど天皇のあり方としてその望ましいあり方を常に求めていくという話をしましたが、次世代にとってもその心持ちを持つことが大切であり、個々の行事をどうするかということは次世代の考えに譲りたいと考えます。

皇后さま

 50年前、普通の家庭から皇室という新しい環境に入りました時、不安と心細さで心がいっぱいでございました。今日こうして陛下のおそばで金婚の日を迎えられることを本当に夢のように思います

結婚以来、今日まで陛下はいつもご自分の立場を深く自覚なさり、東宮でいらした頃には将来の象徴として、のちに天皇におなりになってからは日本国そして国民統合の象徴として、ご自分のあるべき姿を求めて歩んでこられました。

こうしたご努力の中で陛下は国や人々に寄せる気持ちを時と共に深められ、国の出来事や人々の喜び、悲しみにお心を添わせていらしたように思います。

50年の道のりは長く、時に険しくございましたが、陛下が日々真摯(しんし)にとるべき道を求め、指し示してくださいましたので、今日までご一緒に歩いてくることができました。陛下のお時代を共に生きることができたことを心からうれしく思うとともに、これまで私の成長を助け、見守り、励ましてくださった大勢の方たちに感謝を申し上げます。

質問の中にある皇室と伝統、そして次世代への引き継ぎということですが、陛下はご即位に当たり、これまでの皇室の伝統的行事および祭祀とも昭和天皇の御代のものをほぼ全部お引き継ぎになりました。また皇室が過去の伝統と共に現代を生きることの大切さを深く思われ、日本各地に住む人々の生活に心を寄せ、人々と共に今という時代に丁寧にかかわりつつ、一つの時代を築いてこられたように思います。

伝統と共に生きるということは時に大変なことでもありますが、伝統があるために国や社会や家がどれだけ力強く豊かになれているかということに気付かされることがあります。一方で型のみで残った伝統が社会の進展を阻んだり、伝統という名の下で古い慣習が人々を苦しめていることもあり、この言葉が安易に使われることは好ましく思いません。

また伝統には表に現れる型と、内に秘められた心の部分とがあり、その二つが共に継承されていることも、片方だけで伝わってきていることもあると思います。

WBC(野球の国・地域別対抗戦)で活躍した日本の選手たちは、よろいも着ず、切腹したり、ござるとか言ってはおられなかったけれど、どの選手もやはりどこかサムライ的で美しい強さを持って戦っておりました。

陛下のおっしゃるように、伝統の問題は、引き継ぐと共に次世代に委ねていくものでしょう。私どもの時代の次、またその次の人たちがそれぞれの立場から皇室の伝統にとどまらず、伝統と社会との問題に対し、思いを深めていってくれるよう願っています。


(問2)両陛下にお尋ねします。お二人が知り合われてからこれまでにさまざまなお言葉のやり取りがあったと思います。いろいろなエピソードが伝わっておりますが、陛下はどのようなお言葉でプロポーズをされ、皇后さまは陛下にどのようなお言葉を伝えてご結婚を決意されましたか。銀婚式を前にした会見では、陛下は皇后さまに「努力賞」を、皇后さまは陛下に「感謝状」をそれぞれ差し上げられたいと述べられましたが、あらためて今、お互いにお言葉を贈られるとすれば、どのようなお言葉になりますか。ご夫婦としてうれしく思われたこと、ご苦労されたこと、悲しまれたこと、印象に残った出来事、結婚されてよかったと思われた瞬間のこと、ご夫婦円満のため心掛けられたことなど、お伺いしたいことは多々ございますが、お二人の50年間の歩みの中で、お心に残ったことについて、とっておきのエピソードを交えながらお聞かせ下さい。

天皇陛下

私のプロポーズの言葉は何かということですが、当時、何回も電話で話し合いをし、ようやく承諾をしてくれたことを覚えています。プロポーズの言葉として一言で言えるようなものではなかったと思います。何回も電話で話し合いをし、私が皇太子としての務めを果たしていく上で、その務めを理解し、支えてくれる人がどうしても必要であることを話しました。承諾してくれた時は本当にうれしかったことを思い出します。

結婚50年に当たって贈るとすれば感謝状です。皇后はこのたびも「努力賞がいい」としきりに言うのですが(記者団とともに笑われる)、これは今日まで続けてきた努力を嘉(よみ)しての感謝状です。本当に50年間、よく努力を続けてくれました。

その間には、たくさんの悲しいことやつらいことがあったと思いますが、よく耐えてくれたと思います。

夫婦としてうれしく思ったことについての質問ですが、やはり第一に、二人が健康に結婚50年を迎えたことだと思います。二人のそれぞれのあり方についての話し合いも含め、何でも二人で話し合えたことは幸せなことだったと思います。

皇后はまじめなのですが、面白く、楽しい面を持っており、私どもの生活にいつも笑いがあったことを思い出します。また、皇后が木や花が好きなことから、早朝に一緒に皇居の中を散歩するのも楽しいものです。私は、木は好きでしたが、結婚後、花に関心を持つようになりました。

語らひを重ねゆきつつ気がつきぬ

われのこころに開きたる窓

婚約内定後に詠んだ歌ですが、結婚によって開かれた窓から、私は多くのものを吸収し、今日の自分を作っていったことを感じます。結婚50年を本当に(声を詰まらせられる)、感謝の気持ちで迎えます。

終わりに、私ども二人を50年間にわたって支えてくれた人々に深く感謝の意を表します。

皇后さま

たくさんの質問があって、全部はお答えできないかもしれません。とりわけ婚約の頃のことは50年を超す昔昔のお話で、プロポーズがどのようなお言葉であったか、正確に思い出すことができません。また銀婚の式を前にしてお尋ねのあった同じ質問に対してですが、このたびも私はやはり感謝状を、なにかこれだけでは足りないような気持ちがいたしますが、心を込めて感謝状をお贈り申し上げます。

次の、夫婦としてうれしく思ったこと、このようなお答えでよろしいのか、嫁いで1、2年の頃、散策にお誘いいただきました。赤坂のお庭は、蜘蛛(くも)の巣が多く、陛下は道々、蜘蛛の巣をはらうための確か寒竹だったか、葉のついた細い竹を2本切っておいでになると、その2本を並べてお比べになり、一方の竹を少し短く切って渡してくださいました。ご自分のよりも軽く、少しでも持ちやすいようにと思ってくださったのでしょう。今でもその時のことを思い出すと胸が温かくなります。

昭和天皇の崩御を、陛下はご多忙の日々の中、皇太后さまをお気遣いになり、様々に配慮をなさるとともに、昭和天皇が未完のままお残しになったそれまでのご研究の続きをどのような形で完成し、出版できるか、また昭和天皇の残されたたくさんの生物の標本をどうすれば散り散りに分散させず、大切にお預かりする施設に譲渡できるかなど、細やかにお心配りをなさいました。こうしたご配慮の下、平成元年(89年)の末には皇居の植物が、平成7年(95年)には相模湾産ヒドロ虫類の続刊が刊行され、また平成5年(93年)には昭和天皇ご使用の顕微鏡やたくさんの標本類が国立科学博物館に、平成7年には鳥類の標本が山階鳥類研究所に、それぞれ無事に納められました。印象に残った出来事は、という質問を受け、このときの記憶がよみがえりました。

結婚してよかったと思った瞬間は、という難しいお尋ねですが、もうエピソードはこれで終わりにさせていただいて、本当に小さな思い出を一つお話しいたします。

春、こぶしの花が取りたくて、木の下で、どの枝にしようかと迷っておりました時に、陛下が一枝を目の高さまで下ろしてくださって、そこに欲しいと思っていた通りの美しい花がついておりました。うれしくて、のちに歌にも詠みました。

歌集の昭和48年(73年)のところに入っていますが、でも、このようにお話をしてしまいましたが、それまで一度も結婚してよかったと思わなかったということではありません。(笑いながら話される)

この50年間、陛下はいつも皇太子、また天皇としてのお立場を自覚なさりつつ、私ども家族にも深い愛情を注いでくださいました。陛下が誠実で謙虚な方でいらっしゃり、また常に寛容でいらしたことが、私の、おそばで50年を過ごしてこられた何よりの支えであったと思います。


両陛下は4月10日、今年結婚50年を迎えられるご夫婦をお招きになって茶会を開かれます。これは両陛下のご発案と聞いておりますけど、どのようなお気持ちでこの茶会を開かれたいと思われたのか、そこら辺のことをお聞かせいただけないでしょうか。

天皇陛下

この100組の結婚50年を迎える人々を呼ぶということには、二人の意思とともに宮内庁長官を始め関係者のいろいろな尽力があったことと思います。

ちょうど私どもが結婚してからの50年は、様々な出来事の多い時だったと思います。結婚した頃は、必ずしも豊かではありませんでしたが、みな希望に満ちて未来に向かって進んでいったのではないかと思います。そしてその前の時代に戦争があり、その戦争の厳しい環境の中で青少年時代を送ったことだと思います。

結婚50年の人々は、様々な、そして共通した経験をして今日に至っていると思います。結婚50年を迎えられる人々をお招きしてこの茶会を催し、それぞれのみなさんがたどってきた道を話し合うということは、私どもにとっても意義深いことだと思いますし、またお互いに話し合って楽しいひとときになるのではないかと期待しています。

皇后さま

いま陛下がすべてお話ししてくださいました。私も当日を楽しみにしております。


以上です。しっかりと味わってください。