(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【Edit:2010年08月01日】
羽曳野市壺井に鎮座する壺井八幡宮(つぼいはちまんぐう)です。府指定史跡と看板にあります。
私は南側の鳥居から急坂を登って到着したのですが、南側の石段下の鳥居脇には「史跡 清泉 「壺井」」があります。
また南側の鳥居から真南へ約1kmの直線道路があります。
馬場だったのでしょうか。
『壺井八幡宮(つぼいはちまんぐう)
このあたりは壷井(つぼい)の香炉峯(こうろほう)といわれ、河内源氏発祥の地として知られており、平安時代の中期の寛仁(かんじん)四年(1020)、源頼信(みなもとのよりのぶ)が河内守(かわちのかみ)に任官してこの地に私邸を営み、康平(こうへい)七年(1064)に前九年(ぜんくねん)の役(えき)を平定した頼義(よりよし)(頼信の子)が石清水(いわしみず)の神を私邸の東側に勧請(かんじょう)したのが本宮の起源である。
また左側にある壺井権現社は、源義時(みなものとのよしとき)(義家(よしいえ)の五男)が河内源氏の祖神として天仁(てんじん)二年(1109)に創祀したものである。
現社殿は、両者とも元禄(げんろく)十四年(1701)に徳川綱吉(とくがわつなよし)の命で柳沢吉保(やなぎさわよしやす)が再建したものである。』
『府指定史跡壺井八幡宮境内(つぼいはちまんぐうけいだい)
(昭和五十二年三月三十一日指定)
この台地は千二十年に源頼信(みなもとのよりのぶ)が河内守(かわちのかみ)に赴任直後、河内源氏の本拠と定めた香炉峰(こうろほう)の一角に当るが、その後千六十四年、前九年(ぜんくねん)の役(えき)を平定した源頼義(みなもとのよりよし)が石清水(いわしみず)の神を勧請(かんじょう)し、守護神として創建したのが始まりである。
現八幡宮及び権現社は元禄期に綱吉の命で再建されたものを平成に復原修理されたものです。
平成二十一年三月
大阪府教育委員会
羽曳野市教育委員会』
壷井八幡宮は極端な台地の上にあります。
自然の山城といった感じの地形です。
少し南へ行くと羽曳野市通法寺には「源頼義墓〔史跡 通法寺跡(つうほうじ)〕」や南河内郡太子町太子には「源義家墓(みなもとのよしいえ)」や「源頼信墓(みなもとのよりのぶ)」などと案内されていますので山を登らなくても訪問できるということでこちらへ向かうことを薦めます。
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