(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【Edit:2010年07月13日】
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大阪市住之江区安立の「史跡 霰松原(あられまつばら)」と鎮座する「天水分豊浦命神社(あめのみこまりとようらのみことじんじゃ)」です
楠の大木が印象的な空間です。
往古は海岸線であったといいますが、それを偲べるようなものは存在しません。
このような変遷には人智では計り知れない大きな時代の流れを感じます。
『霰松原の由来(あられまつばら)
霰松原の名は「万葉集」(巻一)天武天皇第四皇子である長皇子(ながのみこ)の
「霰(あられ)打つ あられ松原 住吉(すみのえ)の 弟日娘(おとひむすめ)と 見れど飽かぬかも」
の歌などでよく知られています。
この地は、奈良・平安時代は海に沿った境まで続く松原で、白い砂と松の緑は四季を通じて素晴らしい景観をみせ、多くの人々が訪れ、大阪と河内南部のや紀州方面を結ぶ街道としても重要で「岸辺の道」、室町後期からは「紀州街道」とも呼ばれていました。
天水分豊浦命神社(あめのみこまりとようらのみことじんじゃ)は、延喜式代の古社で、創建は詳らかではありませんが、「住吉大社(すみよしたいしゃ)神代記」にも記録されていることより千二百年以上経ており、明治四十年に沢之町の止止呂支比賣命神社(とどろきひめみことじんじゃ)〔若松宮〕に合祀されています。
安立町の由来は江戸時代初期の良医であった半井安立(なからいあんりゅう)が、この地に住み多くの人々を助けた徳により、その名を残して町名となったと伝えます。
財団法人 住吉名勝保存会』
石碑の裏面にも由来が彫られています。
『安立町の由来(あんりゅう)
古くは万葉の昔から海浜に沿う紀州街道の松原の景勝地であったが、元和年間(1615−1623)典薬頭半井安立(なからいあんりゅう)という良医この地に居てその治療を受けに集まった近国の人々が住みつき一つの村落となり安立町の名をなすに至ったという
昭和五十五年六月吉日
霰松原旧跡・安立忠魂碑 整備委員会』
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