(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【Edit:2010年05月30日】
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大阪府南河内郡太子町の「真言宗系 磯長山 叡福寺(しながさん えいふくじ)」です。別称は「上の太子」と呼ばれています。
近鉄長野線の貴志駅または上ノ太子駅から金剛バスで門前に降り立つことができます。
駅から歩くとなると結構な距離があるように思います。
『叡福寺
叡福寺は、推古天皇が聖徳太子のお墓を守るために建立された後に聖武天皇の勅願で七堂伽藍が完成されたと伝えられています。
平安時代以後、聖徳太子信仰の霊場として栄えましたが、戦国時代に織田信長の兵科にかかり消失しました。
江戸時代に豊臣秀頼によって聖霊殿が再建され、次第に整備がすすみました。
毎年四月十一日の太子のご命日に行われる会式は「太子まいり」と呼ばれ、多くの参詣者でにぎわいます。』
私は偶然にも羽曳野市野々上の「高野山真言宗 野中寺」を訪問した時に「中の太子」という説明を読んで、「上の太子」は聞いたことがあるけどと思っていました。
八尾市太子堂の「八尾市太子堂 大聖勝軍寺」で「下の太子」という言葉に接して始めて「上」「中」「下」の太子があることに気がつきました。
聖徳太子信仰には様々な主張もあるのでしょうが、私は歴史上で説明されている聖徳太子については疑義があります。
十七条の憲法についても、聖徳太子が制定したというのも眉唾ものであるとの論もあります。
太子像についても中国の絵をそのまま転用したものであるとの主張もあり、お札から消えたいきさつも知りたいものです。
それにしてもなかなか立派ですし見どころも少なくありません。
バス道路をはさんで「南向山 西方院」があり、「三尼公(さんにこう)」御廟所もあります。
東側には「太子・和みの広場」という公園があり、「十七条の憲法」を掲示してあったり、石棺が転じされていますし、聖徳太子御廟のモデルも展示されています。
「上中下の太子」関連レポート
長い間「上の太子」しか知りませんでした。
仕事の関係で、「上の太子」の前は路線バスで何回も通っていたのですが、足を止めたことはありませんでした。
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