(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【Edit:2009年09月30日】
2007年4月に伊藤一長・前市長(当時61歳)が射殺された事件で、殺人、公職選挙法違反(選挙の自由妨害)などの罪に問われ、1審・長崎地裁で求刑通り死刑を言い渡された元暴力団幹部城尾哲弥被告(62)の控訴審判決が2009年9月29日に福岡高裁で松尾昭一裁判長は「1審判決は重すぎる」と述べ、1審判決を破棄し、無期懲役を言い渡しました。
死刑回避の理由として『松尾裁判長は死刑を回避した理由について、「被害者が1人にとどまっていることを十分に考慮する必要がある」と指摘。「民主主義に対する挑戦であるが、動機は被害者に対する恨みであり、選挙妨害そのものが目的ではない」と判断した上で、「死刑を選択することについてはなお躊躇(ちゅうちょ)せざるを得ない」と』結論づけています。
私は、死刑制度の賛否については意見はありませんが、この判決はおかしいと思います。
「被害者が1人にとどまっていることを十分に考慮する必要がある」ということは、犯罪者の命は、被害者と同等ではないということでしょうか。
長い間、死刑について気にも止めなかったのですが、この判決のニュースを見ていて、ふと気がつきました。
裁判官が「死刑を言い渡したくない。」気持ちの整理をつけるために、複数の被害者がいて「死刑判決」を出すというのは合理的ではないような気がします。
人を殺しておいて生き延びようとする身勝手な論理には、理解を示す余地はないと思いますが、『最高裁が死刑適用の基準を示した1983年の「永山基準」にかんがみ、被害者1人での死刑の適否が最大の争点となっていた。』ということは、理科しがたい論理であると思います。
時効廃止論議についても、犯罪者の人権を口にする人がいますが、一方的に加害者となったものに「人権」も何もあったものではありません。
殴り合いの喧嘩をして、相手が死亡したのであればそのような論理も通るかもしれませんが、人の命を理不尽にも奪って、その人数が問題になるというのはおかしいと思いませんか。
更に言えば、交通事故の被害者の命はもっと軽いのです。
運転ミスで、数名の被害者を出しても「死刑」判決なんか聞いたことがありません。
何故なのでしょうか。
先日も、事務所の下の交差点付近で、対向二車線の狭い道路で強引にUターンした乗用車の横っ腹に逃げるところがなくなった二輪車が激突し、二輪車の運転手が道路に横たわっているのにも関わらず、運転手は「お前が突っ込んできた」と罵声を浴びせていました。
このような輩が多数存在しているのが、現在の日本社会の現状です。
この運転手は、救急車すら呼びませんでした。
数日後に両者が警察官と現場検証をしていましたので、怪我は軽かったのでしょうが、おかしな世の中になったと思います。
この判決はおかしくありませんか。
被害者の命は、加害者よりも重いはずです。
もっというと、半身不随になったとしても、加害者が何の補償もしなくても民事であるということで、警察も裁判所も役所も放置しているのが実態で、「やられ損」の世の中なのです。
少し見直した方が良さそうですね。
民主党政権さん、頼んまっせ!
関連ページ(話題)