(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【Edit:2009年06月19日】
あとは参議院での採決がどうなるかということのようです。
内容については、参議院を通過してからでよいと思いますが、私の個人的な感想を言えば、「本当に何も知らずに迂闊でした。」というのが実感です。
私は、別に臓器移植については批判的ではありませんが、個人的には関係なさそうなせいでしょうか、今のところ「興味がない」というか、「そこまでして生きなくても」と思っています。
しかし、臓器移植が必要な病人を抱えた家族の心労や苦労というのは大変なものがあると思います。
だからと言ってあまりにも高額な費用で海外へ渡航してまで移植しているのが実態で、得に子供の場合は国内での移植が事実上、不可能であったわけで、仕方がなかったということになります。
インフルエンザがなければ、今年五月の国際保健機構(WHO)の五月の総会で海外での移植禁止を決議するはずであったのですが、来年に先送りとなっています。
高額の費用を募金で集めて渡航して、不幸にして間に合わなかったり、一所懸命運動した人と親との軋轢が報道されたりと様々な情報も氾濫しています。
ところで、「脳死」についての議論はどうなっているのでしょうか。
個人的には、「脳死」よりも「心臓停止」による死亡認定というのが解りやすいのですが、人工呼吸器などをつけていれば、「脳死」状態でも、生きつづけるというか、心臓が動きつづけるというメカニズムが中々理解できません。
私は自発呼吸も「生死判定」には必要であるというか、装置類を何もつけなければ「心臓停止」になるのであれば「脳死」判定も必要なく「死亡」であると判断しても良いのではないでしょうか。
極論すると、首から下をすべて機械に置き換えて生きているように見せることも可能なのでしょう。これでは生き餌散ると言えないではありませんか。と考えていたのです。
今回の法案の報道の過程で、3年前から「脳死」と言われている子供がそれにも関わらず、親の献身的な世話で、体も「成長」しているニュース報道を見て、この親の立場になれば、この子供を臓器移植のためにという気持ちになれるかというと無理な話であることは理解できます。
物言わぬ我が子がいつの日にか回復することを信じているから、一所懸命に世話も出きるのでしょうし、心から尽くせるのでしょう。
しかし、人工呼吸器を外したら…。そこで「夢も尽きる」のでしょうか。
難しい話ですね。
信仰がなければ救われないと思います。。日本人の死生観は、先に生まれた順でというもので、子供が先に死んだ親の心はずたずたになりますし、子供は賽の河原から地蔵さまの錫杖がなければ黄泉の川は渡れないのです。
カトリックでは、「罪を犯していない子供は必ず天国に行きます。」
私のような罪深いおっさんは。良くても「煉獄」です。間違ったら「地獄」の周辺で彷徨うことになります。「告解(こっかい)」して罪を減らしておく必要があるようです。
私も、もし孫がこの様な状態になれば臓器移植を熱望するのでしょうね。
難しすぎて判断出来なくなりました。
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