(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【Edit:2009年06月12日】

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真宗大谷派 南御堂(難波別院) 御堂会館


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大阪市中央区久太郎町に御堂筋に面した西側に位置する「真宗大谷派 南御堂(難波別院) 御堂会館」(東本願寺)なのですが、良く考えると何回も来ています。

ただし、浄土真宗本願寺派の浄土真宗本願寺派 本願寺津村別院(北御堂)(西本願寺)との違いは今ひとつ知りませんでした。

「真宗大谷派 南御堂(難波別院) 御堂会館」公式ホームページを参考にしてください。

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『真宗大谷派 難波別院沿革

親鸞上人によって開かれた浄土真宗は中興の祖を仰がれる本願寺第八代蓮如上人によって飛躍的な伸展を遂げた。

蓮如上人は真宗再興の志に燃えて近畿北陸を中心に各地に行化し明応五年(1496)八十二歳の秋、のち大坂城となった地に一宇の坊舎を建立され、これが石山本願寺に発展した。

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当時は現在の大阪城のあたりから法円坂にかけての地を尾坂または小坂と称していた。

上人がこれをはじめて大坂と総称するようになり、明治元年(1868)から大阪と改められた。

石山本願寺の寺内町はやがて一大城郭を構えるようになったが、元亀元年(1570)天下制覇をめざす織田信長によって石山合戦が挑まれ、本願寺は11年にわたり抗戦し、天正八年(1580)和を講じて、鷺森、貝塚、天満の各地を経て京都に移った。

文禄五年(1596)本願寺第十二代教如上人は渡辺の地に大谷本願寺を建立し慶長三年(1598)ここ難波別院の地に移った。

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東本願寺が慶長七年(1602)に徳川家康の寄進により京都に建立されるまで、難波別院は真宗大谷派の本山であった。

文禄五年大谷本願寺と銘のある大梵鐘はこの境内にあり、その響きを今に伝えている。

その後正徳四年(1714)に建立された旧堂宇は、昭和二十年(1945)戦火により消失し、昭和三十六年五月に再建された。

当院は御堂筋の中心に位置して市民から南御堂と呼び親しまれ、真宗の強化と大阪の文化の進展に寄与している。』

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『芭蕉句碑

松尾芭蕉は元禄七年(1694)、南御堂前で花を商う花屋仁左衛門宅で五十一歳の生涯を閉じた。

南御堂内の句碑は天保十四年(1843)芭蕉150回忌記念に天保時代の俳人たちによって建てられた。

南御堂では毎年11月に盛大に芭蕉忌法要と句会が開かれる。』

南北の御堂を回ったのでやっと歴史を理解することができました。

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