(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【Edit:2008年12月16日】
地理不案内とはよく言ったもので、守口市大日町に鎮座する白山神社(しらやまじんじゃ)から、国道1号線に出たのですが、あと200mも行けば、佐太神社(さたじんじゃ)というところで、道を間違えてしましました。
そのおかげなのですが、あちらこちらの神社でかかれていた来迎寺に着きました。
来迎寺の南東角には
『佐太陣屋跡
この佐太地区は、京都・大阪間の交通・軍事上の要地であったことから、美濃国加納藩(32,000石)の永井氏が貞享年間(1684ー1688)に渚(現枚方市御殿山)からこの地に陣屋を移し、摂津・河内の12,000石を領地支配し、約5000平方メートルの敷地に屋敷・蔵・牢屋敷等を次々に整備していきました。
この陣屋は、加納藩の大阪における蔵屋敷の役目を果たし、年貢米の納入はもちろん、加納藩の特産物である提灯・傘等もここにいったん集積して大阪の町人に売りさばき金融・物資の調達など加納藩の台所の役割を担っていました。
平成三年三月 守口市教育委員会』という由緒書きが建っています。
『来迎寺(らいごうじ)
この寺は、現在浄土宗 知恩院の末寺になっていますが、かっては大念仏衆佐太派の総本山で、末寺六十三ケ寺もあり、後村上天皇の勅願で実尊誠阿上人西願が正平二年以来、延宝六年(1678)この地に定着するまで、三百三十二年の間に二十五回移動しました。
当寺には多数の文化財が伝わっていますが、なかでも「絹本著色八幡曼荼羅図」は国の重要文化財にしてされています。絹地に彩色で男山八幡宮の七社の神像を巧みに描いた鎌倉時代(十三世紀)の優品です。また寺庭にある石造十三重塔は基礎部に嘉元二年(1304)に「寺護衆四十余人」の建立になるという銘文があり、鎌倉時代の石塔として大阪府指定有形文化財となっています。
この他にも「銭弘○八万四千塔」「鎌倉彫香合」「木造釈迦如来立像」「後村上天皇肖像画」など貴重な文化財が多く残されています。
昭和六十三年三月 守口市教育委員会』
最後に来迎寺の説明もあります。
『浄土宗 来迎寺(らいごうじ)
当寺は紫雲山聖○院来迎寺と号し、誠阿実尊上人が正平二年(1347)に現在の本市来迎町に来迎堂を建立したことに始まります。この頃後村上天皇の帰依をうけ、後村上天皇の勅願所となりました。その後二十六回の移転を経て、延宝六年(1688)この地に定着しました。
清和天皇の貞観元年(859)に奈良大安寺の行数上人が宇佐八幡宮に詣で、国家の安全を祈念されたときに感得された天筆如来(阿弥陀)三尊来迎図を御本尊としております。
宗派は現在浄土宗ですが、かつては摂河和城四ヶ国に末寺六十余箇寺を擁する大念仏衆佐太派の本山でした。
寺宝として国の重要文化財「絹本著色八幡曼荼羅図」をはじめ、「木造釈迦如来立像(嵯峨清涼寺式檀像)」、「鳳凰丹文鎌倉彫香合」「絹本著色後村上天皇画像」「銭弘○八万四千塔」など多数伝えられています。
また、寺庭の石造十三重塔は大阪府指定有形文化財となっています。
平成二十年十月
紫雲山 来迎寺 山主』
となっています。
立派なお寺です。
募集期間:2010年7月上旬から下旬【間もなく一次終了です。】
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