(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【Edit:2008年11月25日】
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2008年11月24日に長崎で日本で初めてカトリックのローマ法王庁による「列福式」が開催されました。
列福式とは、『生前にカトリック信仰の模範を示したことが認められた人に対し、ローマ法王が「聖者」に次ぐ「福者」の位に列する儀式。日本では聖者42人、福者205人が列せられている。今回列福されるのは、「天正遣欧少年使節」の中浦ジュリアンや、日本人で初めてエルサレムを訪問した大分出身のペトロ岐部など江戸時代に殉教した188人。うち九州関係が約4割の75人を占める。』
あくまでも聖人ではなく、信仰の模範を示したということですね。私も一応カトリック信者ですが、この人たちが弾圧された江戸時代の歴史で教えられた事で誤った認識が強いことを知りました。
私もそう思っていたのですが、いわゆる「踏み絵」との関係です。
この人達は、「踏み絵」を踏まなかったから「列福式」に至ったのではないのです。「命を賭して信仰を変えなかった」から列福されているのです。
カトリックでは「偶像崇拝を禁じています。」それは、造られた像や絵などへの進行は有り得ないということなのです。「イエス・キリストを模ったといわれる踏み絵」などには何の意味もありません。
私はこの様な話しに及んだときには、「踏み絵は踏むよ」と言います。誰もが驚きます。表面的な理解しかしていないからです。
仏像や地蔵や神棚を熱心に拝む日本人の宗教観では理解しがたいかもしれません。
踏み絵の中にも。イエス・キリストは存在する可も知れませんし、ぞんざいに扱うことはありませんが、進行することはないのです。だから「踏み絵」なんか踏めるのです。
また、神社で参拝の時に同じようにする場合があります。プロテスタント系の人と話をしていた時に、「そんな場所で手を合わせることなんかできない」と言われたことがありますが、私には理解できませんでした。
神社の拝殿にも「イエス・キリスト」が存在すると信じて手を合わせば良いのです。そこには祀ってある神々ではなく「主イエス・キリスト」が存在するのです。
それにしても盛大に行われましたが、私は現在「怠り信者(おこたりしんじゃ)」になっています。クリスマスまでに、小さな小部屋に入って「告解(こっかい)」しておかなければならないのですが、サボリ気味です。
阪神大震災までは、熱心にミサにも通っていたのですが、阪神大震災後にミサがあったりなかったりがあって、それ以来何となくペースがとれなくて、「コリアン先生(遠藤周作氏)」みたいになってしまいました。
イエス・キリストは「お願い」を聞いてくれる神様ではありませんので、神社のように毎日お詣りするようなことではなく、いつも一緒にいてくださるので、そんなにバタバタしなくてもという思いがあるのですが、そろそろ見放されるのでしょうか。
「私はそのようなことはない」と信じていますのでまだ大丈夫かもしれませんね。
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