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大阪市平野区喜連東に鎮座する八坂神社(やさかじんじゃ)です。
いやはや、迷いながらたどり着きました。竹渕神社(たけふちじんじゃ)から1km程の距離なので遠くはないのですが、始めて訪れる場所なので土地勘がありません。
車で走る土地勘と、徒歩や自転車の移動による土地勘はまったく異なります。
『当神社は元々喜連地という地名の処に鎮座されていたが元亀時代(1570)頃現在の所に鎮座された。村社の東西神社は元八幡神社と称し、祭神に素盞嗚尊を祀り、一つに牛頭天王と呼ばれていたが嘉永年間を祀られ、いつしか媛大神として祀られた元山皇の西にあったが往古よりの山皇権現鎮座を元禄の時代に八坂神社の境内に移してあったのを合祀したものである。
東西神社と改称したのは合祀によるもので氏子が東西喜連村にまたがっていたので東西の二字をもったものである。
明治四十年九月村社楯原神社、村社東西神社(旧喜連村にあり、素盞嗚尊、忍坂大中姫命合祀)及び無格社春日社(旧喜連村の南端に鎮座)を天神社に合祀してあったところ由緒ある楯原神社の社名が没するを非とし同四十三年十二月天神東西春日の三社が現在の楯原神社に合祀された。
昭和二十六年東喜連氏子一同の要望により東西社、春日社の両社をを同年七月十五日元の東喜連に分離移転した。また同時に地域の氏子も分かれた。』
やはり、営々と地域住民の歴史を刻んでいていますね。この様な内容を石碑に残していただくとありがたいですね。
ところで、鳥居の額には「八坂神社」とあったのですが、碑文には「八坂神社」は出てきませんね。
大阪府神社庁には、平野区喜連東に「八坂神社」の名がありますので、「八坂神社」で間違いないのでしょう。
喜連の氏子も分かれたようですので、東西神社の名称は既に使用されていないと考えても間違いないのでしょう。
いずれにしても、きちんと歴史を紐解ける資料としてこのような碑文は重要である場合が多いと思います。
漢文で彫られている碑文を読み解ければもっと面白いのでしょうが、高校の教師がまったく興味を持つような授業でなかったので、勉強が足りないことを残念に思います。
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