(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【Edit:2008年10月13日】
東大阪市今米に鎮座する春日神社(かすがじんじゃ)です。
それにしても春日神社が多いですね。
善根寺町の春日神社(かすがじんじゃ)、吉田の春日神社(かすがじんじゃ)、横枕東の春日神社(かすがじんじゃ)、池之端町の春日神社(かすがじんじゃ)、布市町の春日神社(かすがじんじゃ)と東大阪市には春日神社が多いのは間違いありません。おまけに荒本には、春日大人の子供に当たるらしいのですが、春日若宮神社(かすがわかみやじんじゃ)もあります。
よく解らない者には紛らわしくて仕方がありません。
『由緒
此の今米の地は往古より成立したる聚落であって、附近の各聚落とは等を同じくしない。壹阡年以上の古文書にも「今籠」の文字を以って書き表したるものと察せられる。それは宮中にある宮内庁図書館にある河内の国の条に「今籠」の文字を以って表現せられているがいずれの世にか現在使用しつつある「今米」の文字を以ってするに至ったかは不明である。この「米」とい云う文字そのものは「新」と読み得られて「新」に通ずる。従って最も古い聚落成立以来春日大宮は鎮座あらせられたのであるが其の年代は誰もしらない。
然しながら春日大宮の鎮座あらせられてより大正参年拾壹月五日神社合祀により吉原村栗原神社に合祀、大正四年四月参日大阪府「学」第四4509号を以って、合祀の件許可大正五年参月拾日内務省及び栗原神社に登記、大正四年拾壹月壹日、大阪府指令、内出田第7106号を以って、民有地第一種として、大正四年拾弐月拾参日中甚兵衛翁顕彰碑此地に建立す、其の後、昭和四十五年四月弐拾九日今上天皇御誕生の後日まで旧来の如くであったが、此の吉日を以って春日大宮は元の今米の地に御帰村あそばされ、幾久しく天壌と共に無窮の守護を垂れ給わんことを。
原文 川中盛三氏』
碑文にある「此の地」というのは、吉田駅のすぐ北にある、現在「中甚兵衛顕彰碑」のある今米公園が元々の今米の春日神社の社地であったそうです。
この原文を書いている川中氏は川中新田を開発した、河内屋五郎平氏と中九兵衛氏の子孫なのでしょうか。
今米公園の北側に隣接して、「川中邸と屋敷林」という家が登録文化財となっています。
今の社地は、今米の集落の反対側の北の端に鎮座しています。
この辺りは隣に「水走(みずはい)」という到底読めそうにない地名もありますし、東大阪市には難しい地名が多いのと、水や海に関連した地名も多いことは事実です。
春日神社から今米公園までの道は、くねくねと川の堤防を思わせるような道です。
農家が多かったので大きな敷地の家が並んでいます。
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