(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【Edit:2008年10月04日,2010年02月09日】
大阪市天王寺区玉造本町に鎮座する三光神社(さんこうじんじゃ)です。春の桜の季節には大層美しく咲き誇っています。
『遠く生駒金剛の連山を見、はるか東景勝のこの地に永くその由緒ある三光神社の御門として誇っていた鳥居も過くる第二次世界大戦の戦火を被りその片柱のみをとどめた。
われわれはこれに世界の平和と国家の安泰を祈願して残すこととする。
さらに今般有志が相寄り新たにこの鳥居を奉納し由緒ある三光の大宮の御門とする次第である。
昭和四十七年七月
三光神社奉賛會』
この三光神社と「宰相山西公園」は桜の花が見事です。職場が近かった時に上司が、「花見に行くぞ」ということで集合をかけられたのが、北西部にある「宰相山西公園」でした。「宰相山公園」は南東部分にあり同じように桜の花が見事に咲き誇る隠れた名勝であるかもしれません。
『三光神社由緒略記
創建は第十八代反正天皇の御宇にして、以後神職として、式内宿弥の苗○たる武川氏が八十六代に渉って奉仕された。
当社は古来より日本全国で唯一の中風病除の神として知られ、崇敬者は全国に存在し、六月一日から七日まで祈願大祭あり。
又、七福神の一つ、寿老人(武内宿弥)を祀り、毎月七日は大阪七福神巡りが盛んなり。
この地はもと大阪城の出城「偃月城(えんげつじょう)」の在りし処にして、慶長・元和の大阪合戦の頃、真田幸村茲に陣し、本城より此処に至るまで地下に暗道を設け、今尚其の痕跡を本殿階下に止むるより世俗に真田山の三光と称するに至れり
境内をはじめ宰相山公園一帯は櫻の名所にて春は宰相山公園愛護会による「三光さくら祭」あり。
奉賛会の歩み
昭和二十年六月一日の大空襲で社殿を始め各種建物一切と同時に氏子全域が被害を被り復興不可能の状態であった。
しかし、戦後間もなく腹腔のため三光神社奉賛会を設立し、第一期に本殿、第二期に社務所、第三期に拝殿、第四期には本社正面大鳥居、第五期に末社。北参道大鳥居等と奉賛会役員をはじめ氏子崇敬者の創意と清き浄財により全て完成された
昭和五十六年五月吉日 -後略- 』
真田幸村像と抜け穴が東側の神社拝殿へ上がる階段の南側にあります。
それにしても、抜け穴伝説はどこまで事実であるのでしょうか。もし、実際に存在していたならば通ってみたいものです。
大阪城の外堀の内側までであればそんなに遠くないのでひょっとしたらと思わないでもありません。
この辺は南へ行くと真田山公園もありますし、北へ行くと、カトリックの聖マリア大聖堂や玉造稲荷神社(たまつくりいなりじんじゃ)や細川ガラシア夫人の越中井から大阪城へ続きます。
募集期間:2010年7月上旬から下旬【間もなく一次終了です。】
まずは家の近くの祭りや大売出しなどの各種イベント情報を提供してください。関連ページ(話題)
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