(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【Edit:200x年xx月xx日】
東大阪市花園本町に鎮座する津原神社(つはらじんじゃ)は、吉田春日神社(ラグビー神社)から、近鉄奈良線の花園駅を挟んで南側にあります。
この神社は国土地理院の地形図では「津原神社」と文字で記されていて神社の鳥居マークが印刷されていませんので場所が解りませんでした。文字だけでも2万五千分の一の地形図上では500mもあるのですから困ったものです。昔の地形図の方が読みやすかったなと感じています。道の記入も中途半端であり、ボーイスカウトの子供たちが迷ったり道を間違えたりするのも仕方がないなと感じてしまいます。
この神社の境内は広くて拝殿、本殿の裏手には池もあります。神輿蔵や絵馬堂というのでしょうか。由緒がありそうな建物と最近建立されたような建物が混在していて、この神社の信仰は今も活きていると感じさ迫られます。社務所の受付にもおじさんが座っていましたし、話を伺うこともできました。
私もメンバーなのですが、いつ建てたのか解りません。おじさんの話によると場所を動かしたということなのですが、最近の人気低迷の起爆剤にしたいものです。
津原神社にはきちんと由緒が記されていました。
『津原神社を中心とした玉櫛之荘(七村)は、同神社の祖神天玉櫛彦之命が、太古 此の地方に荒ぶる凶賊を鎮圧された功によりまして天朝から所領として賜り、其子孫が長く治めたと、古い歴史に伝えられています。天平勝宝六年(780)当河内郡一帯に風水害は甚だしく村人は極度に窮迫して之を救うに術がなく、百姓は只管天候の回復を祈るばかりでした。
その時に加美村の八幡宮の祀部に神託があり、「大和川の上流より橘の枝と櫛○(くしげ)の流れの止まる所に神を祀ったなれば、風水の禍は自ら治まるであろう……」とあったので、神託に随い、橘の枝と櫛○(くしげ)を大和と河内の国境より流したところ、流れに乗った櫛○(くしげ)が、津原の池の澱みに流れ着いてとまりました。そこで玉櫛之荘の人々が相談し此の池の傍に社を建て、天児屋根命並びに玉櫛之荘の祖神天櫛彦之命、天櫛玉命を併せて祀りました。風水たちどころに治まり自来池一帯は甚だしい害の蒙る事がなくなり、津原神社は、近郷七村の総社として尊崇をあつめ今日に至っています。
神社の本殿前より玉串の鳥居までを馬場と呼び河内の三大馬場のひとつとされ六丁(600m余)両側には老松、大杉、榎の巨木が続いていました。
又、本殿の北側には津原の池があり日照りの時には雨ごいをして池の水を田んぼに汲み出したと伝えられています。』
この鳥居昔から不思議で仕方がありませんでした。津原神社まで一直線にかなりの広い道が続いています。
ちょっと不思議なのですが、この鳥居には「玉串神社」という名前で掲げられています。この周囲には神社がありませんでしたので本当に不思議でした。
津原神社の由緒を見て何となく解ったような気がしますが、少し気になる点はあります。
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