(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【Edit:2008年07月14日】

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東大阪市川俣 川俣神社


西堤神社から北東へ約1km程のところにあります。旧楠根川を付け替えた第二寝屋川を挟んで北と南という関係でしょうか。

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拝殿は最近立て直されたもののようですね。境内も明るく西堤神社と同じように楠の大木があるわりには、中央部が明るい神社です。ここも「だんじり(地車)」の倉庫がありますので、夏祭りや秋祭りには引き出されて町内の曳行をするのでしょう。

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市が設置する案内板では『川俣神社は、奈良時代から平安時代に官社となった神社の一覧表(延喜式)に記載され、その頃から祈年祭(きねんまつり)には、鍬(くわ)・ゆぎ(矢を容れて背に負う道具)が備えられたと書かれています。川俣の地名は古くから知られており。

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「日本書紀」には、仁徳天皇が詠んだと言われている歌があり、その中に「…川俣江の蔆殻(ひしがら)の…」は、水辺に生い茂る菱を詠っており、この川俣は、当地であると言われています。

奈良時代、僧行基が、川俣の一女性を救う話や、東大寺の大仏造営時、河俣連人麿呂という豪族が、銭一千貫を寄進したと書かれています。また奈良時代の他の書物にも、川俣・河俣・川派(かわまた)名が見受けられ、河俣氏は、古代からかなり勢力を持つ豪族であり、氏神として川俣神社を祀ったと言われています。

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神社は「川中」という字名がついています。古代から地形の低いこのあたりは、何本にも川筋が分かれたり、入江や中洲が散在する状態であった思われますが、こういう地形は、水運などの便もよく、古代文化の受け入れる地であったと思われます。 平成10年1月 東大阪市』

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延喜式に記載されているということは、きちんと確立していたということで、現在の東大阪市付近の中でも早くから土地であったということでしょう。

この写真は「神木椿」と書かれていて、椿の中でも結構大きな方にはいるのでしょうか。

それにしても、近鉄奈良線をはさんだ東大阪市付近の南北の地は、奈良時代や平安時代には相当入り組んだ入江だあったようです。付け替え前の長瀬川が現在の大和川の元の川であったということがよく理解できます。鴻池の会所が、鴻池家の埋め立てで土地になったという歴史の事実が垣間見られます。


 


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