(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【Edit:2008年04月30日】
近鉄大阪線の長瀬駅からひとつ俊徳道駅側の踏切を渡って南へ進むと神社がありました。私の記憶にはないのでちょっと興味が沸きました。
東大阪市長瀬町に鎮座する波牟許曽神社(はむこそじんじゃ)です。
波牟許曽神社は、『平安時代に入った延長5年(927)に上進された法令(延喜式)、醍醐天皇の勅命より藤原忠平らが編集、宮中の儀式、作法、制度などをかいたもので、後の律令政治の基本法となったものです。神明帳には、全国2861社が記載されています。
東大阪市内では、波牟許曽神社、彌刀(弥刀)神社のほか枚岡神社など16社が記載されています.諸本には共にハムコソと呼んでいる。
伴信友(神名帳考証)に蛇草と書イテ今イカニ唱フニカ知ラネド波牟久佐(ハムクサ) トカ、波牟久佐トカ唱フベキ也。
云々と考証(河内誌)に記載す、所在地についても地名から社名ができたと説明している。これに対して神社を許曽といふのは、延喜式に(下照比売社一座)、日本書紀に(社戸囷大口)、続日本紀に(社吉志酒人)、また圓光大師伝に(美昨国稲岡ノ北ノ栃社(とちこそ))、などとある事例によっても明らかである。
波牟は蛇にして、許曽は社の義なり、蛇を祭れる者にや村名は、これ社名より起こると述べている。
この宮については古代よりこの地の富の関係は、その昔、物部(もののべ)の氏人(うじびと)の村であり、蛇草と云う地名の起源はこの宮の名より起こったものと伝えられる。
(神社要録)には、北蛇草村神名とあり、河内明記には大社天神とも伝え、(神明考証)には、大杜神社と呼んでいた。
御祭神は埴安神はやすのかみ)、波牟埴安姫(はむはやすのひめ)なりと記されています。
また一説には、蛇を祀れるものかとも伝えられる。』と記されていました。
境内の広場のように広くなっていて、南側の柵のそばに不動明王が立っています。でもね不動明王って「密教の根本尊である大日如来の化身、内心の決意)を表現したものであると見なされている。」アジアの仏教圏の中でも特に日本において根強い信仰を得ており、造像例も多い。という説明がWikipediaにあるように、仏教と言うことは、お寺にあるべきものではないのでしょうか。
でもね、ちょっと待てよと考えこんでしまいました。長瀬神社の説明では、この「波牟許曽神社」を合祀したと書いてありました。分祀というのでしょうか。そういう行為を行ったということは説明されていません。そうすると、大昔から此処にあったということでしょうか。記憶にはありません。
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