(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【Edit:2010年07月01日】

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パワースポット


パワースポットの功罪

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歴史番組が好きな女性を「歴女(れきじょ)」などと囃し立てて、「坂本龍馬ブーム」を巻き起こしたと思ったら、仏像ファンが増えているなんて提灯記事を書いて「パワースポット」なる流行まで作り出していますが、そのうち天罰が降ることは間違いないと思います。

どちらにしても、寺院や神社や教会に人々が足を運ぶのは良いことであるので、ブームを作り出すのも良とされると思います。しかし、最近の書き込みを見ると、「どこどこ神社は気味が悪い」とか、「あのお寺は何かが出る」とか「霊感スポット」なるおばけが出るというのと混同されています。

どうせ知的レベルが低いとこうなることは見えているので、ブームを作った連中に天罰が降ると私は言うのです。

本来のパワースポットはピラミッドパワーなどと同じで「その場所に行けば力がみなぎってくる。」などという定義であったのに、何やら面妖で気味悪い場所と捉える馬鹿者が少なくありません。

2010年05月に浅香山の躑躅(ツツジ)を見に行った帰りに、住吉区上住吉に鎮座する「浅澤神社(あさざわじんじゃ)(浅澤社・浅沢社・浅沢神社)〔住吉大社・境外末社〕」の杜若(カキツバタ)と新装なった太鼓橋を見に「住吉大社(すみよしたいしゃ)〔摂津一の宮〕」に立ち寄ったのですが、「すみよっさん」までパワースポットにあやかって、〔住吉大社・境内摂社〕の若宮八幡宮の横で石に漢字で文字が書いてあり数種類集めると願い事が適うパワースポットなる話のようで、大勢の人が集まって何をしているのかなと驚いてしまいました。

さらに本殿が4つあるのですが、第一本殿は先に遷宮しましたのですが、お参りをするのに真ん中に一列に並んでいるのです。行儀が良いつもりかもしれませんが、神様は心の広い方で大勢の願い事を一度に聞き取って下さいます。適うかどうかは自分の心がけ次第ということなのですが、ここでもバカがまかり通っていて神様の通り道の中央で拝んでいます。カトリック教との私が言うのも何ですが中央は神様のために開けて中心をずらした所で拝むのが本来だそうです。日本人は独りよがりの身勝手な理解があまりにも多すぎると思います。

流行が過ぎ去るとパワースポットのことなど忘れてしまうのでしょうが、自分の住んでいる氏地と言うのですが、氏神様がいて土地を守ってくれています。初詣も本当は氏神様に詣ってから有名な神社仏閣に出かけて初詣をするのならば良いのですが、本末転倒のお参りをしている人が少なくないようです。

本来の氏神様は「産土(うぶすな)の神」で「土産(みやげ)」の本来の意味であるその土地から産したもので、物を産する土を支配し守って下さっていることを理解すれば、何故、地元の氏神様を大切にするようにカトリック教徒の私が言っている意味が理解されるのではないでしょうか。私はお願いはしませんが、二礼二拍手一礼(出雲大社系は少し異なります。)のお参りはきちんとします。

鳥居も潜らない意味不明の宗教団体と一緒にしないで欲しいと思います。

聖域であるパワースポットで心も清々しく限りない力を貰おうではありませんか。異教徒である私にも力は下さっています。だから神様であり、仏様なのです。日本人がクリスマスを祝っているのかどうか分かりませんが、認識していることは神と子と精霊(トリニティ)もご存知ですよ。それほど心は広く大きいのです。

 

【〔Author:libdad.〕 Edit:2010年07月21日】

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鳥居の向こうは聖域

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「鳥居」が地図記号では神社になっているせいでしょうか、「鳥居=神社」の構図で理解してる日本人は少なくありません。

十字架がキリスト教徒を示すように考えているのですが、私も誤っていたのですが、神仏分離政策を進めたのは明治政府でそれ以前は神仏習合というのでしょうか、神社に神宮寺としてお寺があったりしたようです。個人的には神社には土地を守る神様など祭る他に「政(まつりごと)」も執り行っていた場所ではないかと思います。

要するにギリシャなどでテモクラチックなどと称される民主主義の砦というか、村内の各種決めごとを集まって決めたり、五穀豊穣や村内の安全などを一緒に祈願したのではないかと思います。

それよりも寺も神社も戦国時代には、戦勝祈願などに詣るくせに平気で火を放ったりしています。

本当に神仏を崇めていたのでしょうか、キリシタンの弾圧などでも知られるように当時国内に入ってきたキリスト教を信仰する人も少なくなかった所を見ると信仰心は篤かったとも思えるのですが、火を放つ神経と崇め信仰することとは相反するように思います。

そもそも神に問うて「政」を執り行っていたような説明を社会の歴史で教えられるのですが、神社に代表される神道は天皇が民のために行う祭り事が1年を通して営まれているのが本来の形であると言うような説明もあります。

神と仏は相容れないのではなく、双方上手く付き合っていたのを明治政府が大鉈を振るったということが結論なのでしょうか。

私が洗礼を受けた故小川悟神父様が宗教家の集まりでいろいろと話を聞かせてもらうけれども、仏教は聞いていてよく理解もできるのですが、神道はなんとも難しくてというか、それぞれが異なっていて理解が難しいとおっしゃていました。神社毎に祭られている神様も異なりますし、鎮座の経緯もそれぞれですので中々一本化とは行かないのでしょう。

その広範囲な神道を一つにまとめて理解するのに本来は「聖域の区切りであった鳥居」を神社のシンボルとしてしまったのではないかと思います。

「鳥居」の向こうは聖域であり、神様や仏様のパワーを頂ける場所なのです。気味悪いというのはその人の心の中の問題です。本当は聖域に入れば清々しさを感じて心に平穏を感じるのが当然であると思います。

そこが怪しい方向に向かうことが「パワースポット」と「心霊スポット」すら区別できない知的能力であると指摘しているのです。私が何を言っているか理解すらできない人も少なくないと思います。「パワーすポット」を語るな、近づくなと言いたくなります。神聖な場所です。神様や仏様が貴方に語りかけてくださる場所です。

仏教寺院では時には仏像や仏画の中から仏様が貴方と対話して下さいます。

神社では本殿に鎮座していて聖域内の崇敬者の心の呟きや願い事を聞いてくださっています。本来は拝殿の前から本殿に向かって手を合わせる必要すらありません。神様は心が広く大きいのです。

 

【〔Author:libdad.〕 Edit:2010年07月21日】

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広い心の主神仏

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私がカトリックの洗礼を受け手から解ったことは、主(イエス・キリスト)も神(八百万の神)も仏(仏陀を筆頭に)のすべてが心が広く大きく受け入れてくださるのにそれぞれを信仰していると思っている人間の心の狭さなのです。

人間であるから仕方がないのかもしれませんが、私には自らの信仰している宗教が全てであるような狭い発想は受け入れられません。

自らを認めてもらうためには、他を尊重しなければならないと思うのです。

当然ですが、自分の信じている宗教が一番であることは間違いないでしょう。

不思議なのが、プロテスタントでキリストには一心に手を合わせて素晴らしい人だと思っていても、鳥居を潜らない発言や稲荷さんは狐を拝んでいるなどと理由の解らない意味不明の言動が時々あることです。

特定政党を支持する宗教団体でも、他宗教批判を良く聞かされます。許容範囲載せまい信仰は必ず廃れていきます。子々孫々の代替わりが継続的にうまくいくような発想で考えていることが多いのは破綻していると騒がれている日本の年金制度と同じ構図であると思います。

私と妻は一応カトリック教徒ですが、神社に行けば「二礼二拍手一礼」(出雲大社系は「二礼四拍手一礼」「四礼四拍手一礼」もある。)でお詣りをします。「但し、私はお願いはしません。」

松原市天美西に鎮座する「関西出雲大社(かんさいいずもたいしゃ)(久多美神社:くたみじんじゃ)」に始めて訪問した時には、「排他的な神社やな。」と思っていたのですが、妻と一緒に訪問した時には氏子の人にお詣り方法を教えて貰い、「心に広い神様ですから何をお願いしても結構です。」と言われて納得しました。

この神社は、私はそうではなかったのですが興味本位で写真を撮ってインターネットで紹介なんて行為は、当然ですが嬉しくないのでしょう。せっかく来たのであればきちんとお詣りをして行くのが本当の姿勢であるということです。

「広い心の主神仏」という題にしているのは、献金なり、賽銭なり、布施なりをしてくれる信者には広い心という意味ではありません。誰が詣っても全ての主(イエス・キリスト)も神(八百万の神)も仏(仏陀を筆頭に)は広く大きい心で人間を救ってくれるのです。

子供の頃に接していた人は、簡単に救い出してもらえます。理由は簡単なのです。「信じるからです。」そもそも信仰とはそれぞれの主(イエス・キリスト)も神(八百万の神)も仏(仏陀を筆頭に)などの中から自らの信じるものを選び出して心から信じることでしょう。

こころから信じればその人は救われるのです。

他人の目から見てどうということは関係ありません。

本人が救われていると、どのような境遇にいても平安な生活を感じているのです。苦しさの圧迫にも耐えることができます。私は、最近はあまりミサにも参加していないので、告解(こっかい)をしなければならないとは思いますがコリアン先生よろしく無教会主義であるなどと勝手に思い込んでいますが信仰は捨てていないのです。

貴方に小学生以下の子供や孫がいるのであれば、教会でも神社でもお寺でもお詣りに行くことを薦めます。

その子の人生の支えとなってくれる可能性が否定できないからです。

私が洗礼を故小川悟神父様に申し出たときに「奥さんは自分で決めれば良いけど、予防注射みたいに思って子供さんは一緒に洗礼を受けておきなさい。」と言われたのが小学一年生の息子と幼稚園の娘と妻と毎週公共要理と言われる洗礼のための勉強に通いました。

おかげで楽に育てることができたと思います。故小川悟神父様は「子供が大人になった時に、信者を続けるかどうかは自分で判断できます。」とも言われていました。私にとってはまさに「神のことば」です。

 

【〔Author:libdad.〕 Edit:2010年07月21日】

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「氏神様」に詣るきっかけ「氏神様について」

京都府八幡市西山和気に鎮座する「和気神社(わきじんじゃ)」を訪問した時に祭神の「和気清麻呂公」の説明書きと「氏神様について」というなかなか薀蓄のある文章が提示されていました。

いろいろな考え方はあると思いますが、子供を育てて、成長する過程で「神様」や「仏様」の力を借りない手はありません。

小さく素直な心を持つ頃に、「人間ではどうしようもない事がある」ということを、「神様」や「仏様」の力を借りて教えておくことは大切であると思います。


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氏神様について

子供がうまれると、男の子は30日目、女の子は31日目にお宮まいりと言って、この世に生まれてから始めての儀式を行うのが日本古来の習慣であります。

さて、戦争によって、各地が荒廃した当時も、神社だけは割合にその難を免れた結果、今でもどこの町へ行っても氏神様または鎮守さまと言ってその姿を昔ながら残しています。

信仰嫌いということで、この文明社会のみを肯定して生きる者であっても、神へのささやかな繋がりの場とでも申しますか、幼な子の手を引く若夫婦の姿を見るときは誠にほほえましく、楽しく感ぜられます。

今日の発展した社会、経済、文化の中にあってこの氏神様を拝むことは、何か時代に逆行するように見えるかもしれませんが、前期神様を礼拝するとき、氏神様の真の意義を考えざるを得ません。

それでは、「氏神さまには、それ程重要視するに値する神様がおられるのでしょうか」ということになります。

この問いに対しましては、それぞれの人が自由にお考えになることだと思います。

また、氏神様を信じ、或いは拝礼する人にとって、神様に対する要望は平和、五穀豊穣、家内安全、その他の大願成就でありましょう。

氏神様に足を運び、お願いごとをとなえ、拝礼することで安心立命の心を養う人も多いのではないでしょうか。』


それぞれの生き方の中で、「私は神仏になど頼らない」と考えることも悪くないと思います。

私は、「神様」や「仏様」の前で「お願い」をするということは、「自分自身の願望の確認」であり、また「目的」や「目標」の確認であると思います。

日々身近な氏神様や仏様の前を借りて、「自分自身の進む道を確認する」と考えてみれば、『決して座して待っていても何も起こらない』ことも理解できるのではないでしょうか。

今日のNHKの朝ドラマの中で「生活は苦しいけど、笑って過ごしてる」という台詞がありました。

「生きていく上で、楽しいときも、苦しいときもいろいろやってくる」という台詞もありました。

一時的な感情に流されることなく「笑って生きるように心がける。」、そのために「神様」や「仏様」の前を借りると思えばよいのではないでしょうか。

 

【〔Author :libdad.〕 Edit:2010年05月23日】


神のことば

私の家族にカトリックの洗礼を授けて頂いた故小川悟神父様に頂いた「神のことば」という銘板があります。その内容は、これを守って生きられれば素晴らしいと思われることばが数多く含まれている素晴らしいものです。このように生きられれば嬉しいとしか言えません。

神のことば
愛は堪忍し、情けあり、愛は妬まず、自慢せず、
高ぶらず、非礼をなさず、己のためを計らず、
怒らず、悪を負わせず、不正を喜ばずして真実を喜び、
何ごとをも許し、すべてを信じ、
愛はすべてを希望し、すべてを耐えしのぶ、
愛はいつまでも絶えることがない。

宗教については難しいと思われている日本人が多いと思いますが、この神父様は私にとって様々なことを教えてくださいました。何よりも私自身がボーイスカウトのコミッショナーに就任するにあたり、スカウト運動の原理である「神(仏)へのつとめ」「自分へのつとめ」「他人へのつとめ」の原理をよく理解するために洗礼を受ける決心をして「洗礼を受けたいのですが」と相談したときの言葉が忘れられません。

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「貴方は誰ですか」と問われて、前述のことを説明した後で、「子供さんはいますか。」ということで、

「ふたりいます。」

「それでは、予防注射だと思って子供さんも受けさせなさい。嫌になったら信者をやめれば良いのですから、大人になればこどもさんは自分で判断するでしょう。奥さんは大人ですから自分で判断されるでしょう。」ということで、毎週木曜日に、家族で神父様を訪問して家族全員が洗礼を受けることになりました。

洗礼を受けたおかげで子育ては楽に終えることができました。こどもを意味もなく叱ること無く、悪いことをすれば「告解」と言われる、みなさんは「懺悔」と認識しておられる、小さな小部屋に入って隣にいる聖職者に向かって罪をすべて言うことにより、罪から開放されると言われていることをしておいでと言うだけで済みました。

娘は、幼稚園に月から土曜日まで通い、日曜日には妻とミサに参加し、木曜日に神父様から「公共要理」と呼称される洗礼を受けるためのお話にと週に8回も幼稚園(教会)に通う日々が継続しました。

ある日、兄妹喧嘩をして、二人でそれぞれ「告解」をしてきたといってサバサバとしているのをみてありがたいなと感じました。でも私はそんなにできたにんげんではないので、昨夜も先日のバスから転落して亡くなった子供の父親の、「なぜ、サンタクロースが私の子供をクリスマスの連れて言った。」発言に憤懣していたら、妻から何をいかっているのと言われてしまいました。

まだまだ、理解が浅いですね。頑張ります。皆さんも一度近くの教会やお寺や神社で、ミサや法話を家族で聞いてみられれば世界が変わるかも知れませんね。私は、洗礼を受けて「心が安らかになる。」ということが良く理解で来ました。

 

【〔Author :libdad.〕 Edit:2010年12月28日】


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