(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【:2014年06月16日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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考古学者はどう見る『出雲王朝VS大和王権』


個人的には、考古学学者というものを全く信用していません。

文献があっても視点が偏っていて自分の利益になることしか書かれていないことは「甲骨文字(こうこつもじ)」の発見によっても明らかですし、石製の遺物では本当の年代も確定しにくいでしょう。

放射性炭素年代測定(ほうしゃせいたんそねんだいそくてい)でも、その材料の年代は特定できたとしても、使われた年代を特定することにはならないでしょう。

神話の世界ではそれこそ自らの都合の良い主張しか語り継がれないことは否めません。

河内平野の天皇陵や関係する御陵として指定されていない数多くの前方後円墳などを納得のいく説明のできる考古学者を知らないというか、そんなことを発表すると博士号を取得することなどできないからでしょう。

何とも日本の学者というのは論理的に説明しようという努力が足りないというか、その道の大家に逆らえば食っていけないという社会がおかしいのではないかと思ってしまいます。


神話の世界 考古学界騒然「出雲王朝VS大和王権」裏付ける〝物証〟次々

朝鮮半島などから土地を引き寄せて島根半島が出来上がったという「国引き神話」、オオクニヌシノミコトによる「国造り」に続く天照大御神(あまてらすおおみかみ)への「国譲り」…。日本誕生にまつわる数々の神話に彩られた神の国・出雲。実は考古学界では数十年前まで「神話だけの世界で実証性に乏しい」と軽視され続けた。昭和59年の荒神谷(こうじんだに)遺跡(島根県出雲市)での大量の銅剣や銅鐸(どうたく)発見で「出雲王朝論」が唱えられても、関西の学者たちは「大和勢力(畿内)が『僻地(へきち)』の出雲に埋めた」と主張。「出雲VS大和」は、古代だけでなく考古学界でもし烈な火花を散らした。5月10日は出雲大社の大遷宮。出雲神話が再び熱い。(小畑三秋)

論争ヒートアップ

荒神谷(こうじんだに)の発見は、出雲に巨大勢力の存在を示す画期的な成果だ。大和や九州と一線を画した出雲王国が存在した」

「出雲に大量の青銅器を造る力はなかった。出土した銅剣や銅鐸などは、大和の勢力が、支配圏の最も縁辺部に埋めることで外敵の侵入を防ぐ祭祀(さいし)の役割があった」

荒神谷(こうじんだに)遺跡から、国内の総出土数を上回る銅剣358本、さらに銅鐸6個と銅矛16本がセットで見つかって以来、各地で「青銅器の謎」をめぐる学会やシンポジウムが開かれ、そのたびに「出雲王国派」と「大和派」が議論を戦わせた。

出雲王国を唱えるのは、島根などの考古学研究者、文献学者が多く、大和派はもっぱら関西の考古学者だった。「大和や北部九州の勢力が、それぞれの境界にあたる出雲の地に銅剣や銅鐸、銅矛を埋めた」との第3の説も出されたが、あくまで大和や北部九州が中心だった。

地下からよみがえった出雲王国

「島根県内には100メートルを超える古墳がみられない。弥生時代をみても、『銅鐸は近畿、銅剣・銅矛は北部九州』という二大文化圏から出雲は外れ、あくまで縁辺の地とされた」

数十年前までの考古学界の風潮についてこう話すのは、島根県文化財課の松本岩雄文化財専門官。「神話の世界では主要舞台でありながら、考古学的には全国レベルで議論されることはなかった。仮に議論を提議しても『実体がない』といわれるだけだった」と、振り返る。

― 中略 ―

最大のミステリー

「考古学最大の謎」(松本氏)といわれる銅鐸や銅剣の大量埋納。松本氏がここで着目するのが、かつて「田舎の墳墓」と関西の研究者らに揶揄(やゆ)された「四隅突出墳」だ。方形の墳墓の四隅から舌状の張り出しが伸び、ヒトデのようにも見える奇妙な墓で、今から1800~1900年前の弥生時代後期に隆盛した。

― 中略 ―

しかし、これほど独自性を誇示した出雲も、古墳時代になると四隅突出墳が忽然(こつぜん)と姿を消し、一気に大和勢力の傘下に組み込まれていく。古墳も100メートル以上の大規模のものがないことは、中小の勢力に分断されたことを意味する。

大和に不利な神話は消せ!

現在の考古学論争だけでなく、1300年前に編纂(へんさん)された古事記や日本書紀をひも解くと、「大和中心主義」はさらに露骨だった。

(くに)()、国来」。出雲の神が、かけ声とともに各地から領土を綱で引っ張ってきたという国引き神話。「出雲の国は最初に小さく造りすぎた。もう少し縫い足そう」と朝鮮半島の新羅から余った土地を綱でたぐり寄せ、隠岐や能登半島などからも土地を引っ張ってきて東西に縫い合わせたのが島根半島と伝える。

出雲の領土拡張を物語る国引き神話は、奈良時代に編纂された出雲国風土記の冒頭に記されながら、不思議なことに同時代に成立した古事記や日本書紀にはいっさい登場しない。

― 中略 ―

とはいえ、古事記・上巻の中で3分の1を占める出雲神話が、歴史的に重要であることは揺るがない。

出雲神話を発掘が証明

神話のエピソードが決してフィクションでないことを証明したのが発掘調査だった。

国譲り伝説の中で、オオクニヌシは天にそびえるほど高層の神殿を建てることを条件にしたと古事記は記す。この高層神殿こそ現在の出雲大社(いずもたいしゃ)とされ、平成12年に本殿南側で前代未聞の巨大建物の柱が出土した。

― 中略 ―

国譲り神話に登場する出雲大社(いずもたいしゃ)の巨大神殿について松本氏は、「天に届くような神殿を建てたという神話があったからこそ、当時の人たちは高さを追求した」と指摘。「歴史が神話をつくったというより、神話が歴史をつくったともいえる」』

(2013.04.29::http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/130429/wlf13042912000007-n1.htm)


「出雲王朝」については、興味津々なのですが、「大和王権」の歴史で育った私には、隠された歴史を知りたいという欲求が尽きません。

歴史なんてせいぜい鎌倉時代以降しか史料も整っていないようですし、鎌倉幕府の成立なんて未だに確定することも出来ないようです。

何とも情けない話です。