(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【:2008年01月31日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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大和川付替後の新田開発


宝永元年(1704)に幕府により大和川の現在の堺へ向けて流すように付け替えた後に大阪の河内にあった、新開池と深野池とそこに流れ込む多数の支流周辺では大規模な新田開発が行われました。

平安時代の「和名類従抄(わみょうるいじゅうしょう)」では、当時全国には約103万町歩の耕作地があり、太閤検地では約206万町歩と倍増しており、明治六年の改正反別では約413万町歩となっており、江戸時代に盛んに新田開発が行われた事が数字でも明らかです。

大和川付け替え後に開発された主な新田

開発地 新田名 反別
(町.反.畝.歩)
幕末頃の所有者
深野池池床 河内屋北新田 49.0.6.20 鴻池又右衛門(新十郎)
深野北新田 57.7.4.10 鴻池又右衛門(新十郎)
深野新田 97.3.4.11 鴻池又右衛門(新十郎)
深野南新田 62.2.9.22 銭屋長左衛門
御供田新田 4.8.4.5 -
河内屋南新田 11.7.1.14 銭屋長左衛門
寝屋川河床 尼ケ崎新田 7.7.0.24 -
三箇村新田 0.8.2.12 -
横山新田 3.2.4.7 -
中村新田 5.4.2.21 -
灰塚村新田 3.7.0.0 -
諸福村新田 7.0.7.22 -
三組新田 8.6.0.13 -
布屋新田 3.0.9.25 -
新開池池床 鴻池新田 158.8.8.0 鴻池善右衛門
中新田西寺島 - 鴻池善右衛門
中新田東寺島 33.8.8.3 鴻池善右衛門
中新田前島 - 鴻池善右衛門
橋本新田 6.7.6.11 -
三嶋新田 11.8.8.3 鴻池善右衛門
吉田川河床 川中新田 39.5.9.15 川中家
菱江川河床 菱屋東新田 158.8.8.0 越後屋(三井家)
玉串川河床 玉井南新田 17.3.9.18 泉屋利兵衛
玉井北新田 南島六之助
山本新田 64.1.9.13 泉屋(住友家)
柏村新田 20.4.9.8 銭屋長左衛門
楠根川河床
(第二寝屋川)
菱屋中新田 13.8.2.24 越後屋(三井家)
長瀬川河床
(久宝寺川)
新喜多新田 56.3.5.20 今木屋多兵衛
左専堂新田 0.8.0.4 -
菱屋西新田 20.8.8.28 越後屋(三井家)
吉松新田 18.9.1.16 -
金岡新田 20.5.5.7 -
三津村新田 9.1.7.1 -
顕証寺新田 1.4.3.11 顕証寺
大信寺新田 4.8.4.22 八尾寺内大信寺
安中新田 47.0.0.17 -
天王寺屋新田 13.5.5.18 天王寺屋吉兵衛
二俣新田 33.8.4.0 -
市村新田 55.2.9.0 -
新田図に有り
表にない新田
八箇新田 ? (鴻池新田の北方)
箕輪村新田 - (鴻池新田の東南端)

使用している数字等は、「史跡・重要文化財 鴻池新田会所 2008年03月01日(2版)」(財団法人東大阪市施設利用サービス協会発行)を参考にしています。

幕末頃までには、新田開発後に天候不純による不作や小作人との争議により経営に行き詰まり、次から次へと経営者が変わったか現在で倒産した新田は所有者がいなくなっているのでしょう。鴻池新田(こうのいけしんでん)は約240年間も経営者が変わることなく続いた稀な例のようです。

例えば「菱屋東(ひしやひがし)新田」「菱屋中(ひしやなか)新田」「菱屋西(ひしやにし)新田」は、「新家 菅原神社(すがわらじんじゃ)」の由緒書きで、四代目の庄左衛門が、子の岩之助と新田の開発に参画し、合計約68町余の菱屋西(ひしやにし)・中・東の三新田を開発しました。とされています。「菱屋東(ひしやひがし)新田」は、「河内七墓 岩田墓地」がその地にあり説明されています。

私の現在住んでいる場所の自治会内には「新喜多(しぎた)」という地名がついており、長瀬川を下っていくとこの地名はJR京橋駅付近で再度復活します。近鉄奈良線の北側が「新喜多(しぎた)」でしたが、現在は「菱屋西(ひしやにし)」という地名になっており、「菱屋西(ひしやにし)新田」と「新喜多(しぎた)新田」の境目が近鉄奈良線付近なのでしょうか。