(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【:2022年11月12日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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桜井市忍阪 高円山 石位寺〔薬師三尊石仏〕


奈良県桜井市忍阪にある「高円山 石位寺(いしいでら)〔薬師三尊石仏〕」です。

「薬師三尊石仏」を拝みたければ事前申し込みが必要であるという事です。

写真を見ると風化もないので、そんなに古い物とは思えないのですが、実際のところはどうでしょうか。

それにしても「無住」でも宗派があるお寺が少なくないのですが、仏事は行われていないのでしょうか。


高円山(こうえんざん) 石位寺(いしいでら)

ここは、忍阪区字「小倉谷(おぐらだに)」です。

この石位寺(いしいでら)は、現在いずれの宗派にも属さず、無住の為区が管理しています。

旧本堂は徳川時代の元禄二年(1689)に建てられたものでしたが、その後二百八十有余年が経ち耐えられず昭和五十三年に現在の堂宇(どうう)に建て替えられました。

寺の由来を示す確たるものはありませんが、元々忍阪にあった音読の「コクラ(小倉)寺」(小倉山から名付ける)を訓読の「イシイ(石位)寺」と読んだのでは…との説があります。

これは『多武峯の「常行三昧堂収納日記」(天理図書館蔵)「保井文庫」天文十一年(1542)に、「テラノマエ」の小字があることから推して室町時代には既にお寺があったと考えられています。更に、昭和十三年に発行された「史跡名勝天然記念物 第12集(著者:高橋誠司)』による「忍阪について」の中で、『石位寺は奈良朝時代( 710 - 794 )の開創と伝えられる。

同寺境内から時々布目の奈良朝時代に見られる平瓦が出る由である。云々…』と記され、室町時代より更に八百年前の奈良時代に存在していたのでは…と推察されるのです。

薬師三尊石仏は白鳳時代の逸品とされるだけあって、文豪・川端康成をはじめ、佐藤春夫、井上靖、岡部伊都子、山口誓子や犬飼孝、当市出身の文芸評論家・保田與重郎などの文人・学者が数多く訪れています。

また、写真家の入江泰吉は、忍坂の里の風景とともにこの石位寺のたたずまいを多くの作品に残しています。

忍阪区』

※ 境内掲示より



石位寺(いしいでら)境内の石造物

南東部石碑群

4基の石碑は、右から「西国三十三所巡礼供養碑」。

西国三十三所観音霊場を供養した記念碑的要素が強いものです。

右より戦国末 ― 江戸前期のもので法名を刻み、二つ目は江戸時代初期・正保四年(1647)で物故者供養、三つめは寛文四年(1664)で俗名で構成されたものです。

桜井市史によるとこれらの石碑は、もともと境内の西北隅にあったもので、昭和五十三年の建て直し時に移設されたものです。

また、左端の石碑は、庚申講衆碑で、大型ですが浅い梵字の形状、半肉彫りですが形骸化した蓮弁などから16世紀後半ごろの戦国末から江戸前期のものと推定できます。

これは昭和二十八年の国道166号線開通による現庚申堂の移転に伴い、移設されたものです。

北西部石造物群

ここには、墓塔や墓標があります。

左側写真の右端の石碑は、「阿弥陀名号供養碑」です。

通常は「南無阿弥陀仏」と記されるのですが、この石碑は供養碑として特異な表現となっています。

戦国時代・天文十年(1541)のものです。

右から3基目は、「六十六部廻国供養碑」と考えられ、戦国時代・弘治二年(1556)に法華経を66ケ国の霊場に奉納し無事満願を迎えられたことを記念して建てられたものです。

他にも、五輪塔火輪の15 - 16世紀のものや、江戸時代の墓標や五輪塔板碑もあります。

忍阪区』

※ 境内掲示より


申し込んでも駐車場がありませんね。

どうするのでしょうか。


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