(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【:2022年10月12日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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桜井市忍阪 玉津島明神


奈良県桜井市忍阪にある「玉津島明神(たまつしまみょうじん)」です。

忍坂坐生根神社(おっさかにいますいくねじんじゃ)から舒明天皇押坂内陵(じょめいてんのう おさかのうちのみささぎ)を訪問しようと集落内を進んできたのですが、何やら神祠と井戸と説明書きがあることに気付きました。

境内横の細道に石標が立っているのが見えましたので確認しました。

石標には『伝承 衣通姫(そとほりのひめ) 産湯(うぶゆ)井戸(いど)』と彫られている面が進行方向に向いていたので、先へ進むと何もなく国道に到着しました。

他の面には何もありません。


玉津島明神(たまつしまみょうじん)

祭神

稚日女尊(わかひるめのみこと)丹生都比賣神(にふつひめのかみ)衣通姫尊(そとおりひめのみこと)軽大郎女(かるのおおからつめのむすめ)衣通王(そとほりのみこ)

ここ忍阪(おっさか)の地名は、かつて意柴沙加(おしさか)意佐加(おさか)於佐箇(おさか)押坂(おしさか)など古代史を多彩に飾り、神話の「記紀」ともに神武天皇東征の折、「忍坂(おさか)大室(おおむろ)」としても登場します。

また隅田八幡宮(すみだはちまんぐう)所蔵の人物画像鏡(じんぶつがぞうきょう)の銘文ににも「意柴沙加(おしさか)」の地名がみえ、大和の地名を刻む最古のものです。

稚日女尊(わかひるめのみこと)は、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)伊弉冉尊(いざなみのみこと)御子(みこ)で、天照大御神(あまてらすおおみかみ)の妹神とされ、後世またの御名(ぎょめい)丹生都比賣神(にふつひめのかみ)と申されます。

古事記では皇后の忍坂大中姫(おさかのおおなかつひめ)の御名代として刑部(おさかべ)忍坂部(おしさかべ))を定めたと記録され、この忍坂(おさか)の地に(みや)があったことを証しています。

第十九代允恭(いんぎょう)天皇(在位四百十二年 - 四百五十三年)と忍坂大中姫(おさかのおおなかつひめ)との間に第五皇女として誕生したと古事記で伝わる衣通王(そとほりのみこ)軽大郎女(かるのおおからつめのむすめ))は、この地で生まれ、以って(あざ)、「主谷」として今に残り、そのとき使ったとされる「産湯(うぶゆ)井戸(いど)」がここにあります。

記紀ともに、衣通姫(そとほりのひめ)は絶世の美人といわれ、その美しさは(ころも)(とお)して輝いたことから名付けられ本朝(ほんちょう)三美人の一人とも称されています。

また、和歌三神(わかさんしん)の一つとして和歌浦・玉津島神社(たまつしまじんじゃ)に祀られるのは同一ともされています。

古来より村人は女子誕生にこの井泉を産湯として使ってきたと伝わり、この伝承地とされるところから井戸の石積み跡がみつかり、悠久の年月を経て蘇っています。

平成二十三年九月 桜井市忍阪区』

※ 境内掲示より


歴史の詰まった一帯であることはよく理解できました。

毎度のことながら「道標」には悩まされます。

土地勘の無い人には難しい場合が少なくないですね。


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