
奈良県奈良市樽井町に鎮座する「采女神社〔春日大社末社〕」です。
奈良市のこの周辺の神社は塀に囲まれて門が閉まっていることが多いのですが、数えきれないくらい猿沢の池畔に鎮座するこの場所には訪問しているのですが、一度も境内に入ったことはありません。
私が子供の頃からすぐ横の猿沢の池の鯉や亀に麩をあげていました。
このまま池畔沿いに東へ進むと春日大社の一の鳥居から参道を通って参拝できますし、西へ進むと暗超え奈良街道を通って大阪まで辿り着きます。

『春日大社末社 采女神社
御祭神 采女命
御例祭 旧八月十五日(中秋)
御由緒
奈良時代天皇の寵愛が薄れたことを嘆いた采女(女官)が、猿沢の池に身を投げ、この霊を慰める為、祀られたのが采女神社の起こりとされる。
入水した池を見るのは忍びないと、一夜のうちに御殿が池に背を向けたと伝えられる。
例祭当日は采女神社本殿にて祭典が執行され、中秋の名月の月明かりが猿沢の池に映る頃、龍頭船に花扇を移し。激鷁首船と共に、二隻の船は幽玄な雅楽の調べのなか、猿沢の池を巡る。
●●こすげ』
※ 境内掲示より

『謡曲「采女」と采女への哀悼歌
諸国一見の旅僧が奈良春日明神に参詣すると、一人の里人が来て、当社の由来を語り、なお僧を誘って猿沢の池へ行き、昔、帝の寵愛をうけた采女が帝の御心変りを恨んでこの池に入水した事を語り、自分はその幽霊であるといって、池の中に入る。
僧は池の辺で読経回向していると、采女が現れて、成仏を喜び、采女についての逸話を語り、歌舞を奏して再び池に消えた。
という大和物語の筋である。
采女への哀悼歌
我妹子が 寝くたれ髪を
猿沢の池の玉藻と見るぞかなしき(人麻呂)
(あのいとしい乙女のみだれ髪を猿沢の池の藻とみるのは悲しいことだ。)
猿沢の池もつらしな我妹子が
玉藻かつかば 水もひまなし(帝)
(猿沢の池を見るのは恨めしい。あのいとしい乙女が池に沈んで藻の下になっているのならいっそ水が乾いてしまへばよかったのに。)
謡曲史跡保存会』
※ 境内掲示より

『猿沢池こんなお話し
采女まつり
猿沢池の北西に、池を背にした「采女神社」(春日大社の末社)
中秋の名月の祭礼
時の帝の寵愛の衰えたのを苦に月夜に、この池に身を投げた采女の霊を慰めるお祭りで花扇奉納の行事がある
王朝貴族が七夕の夜秋草で飾った花扇を御所に献じ庭の池に浮かべて風雅を楽しんだ故事による。
数十人の稚児がひく花扇車や十二単の花扇使が御所車で市中をねり名月が姿を現すころ竜頭船に花扇を移し管弦船からの雅楽の調べとともに池を二周、花扇は水面に浮かべられる。』
※ 境内掲示より
『猿沢の池に身を投げ』とありますが、この池は浅くて大人だと腰くらいまでの水深しかありません。
謡曲の一つらしいので作り話なのでしょう。
何処かの滝壺のない滝の『滝壺に身を投げ』と言うのと同じようなものです。
要するに作り話という事でしょうね。