
奈良県奈良市今辻子町にある「住吉神社」です。
開化天皇陵の周囲にある寺社仏閣史跡などを訪問して来たのですが、こことあと西照寺で地図上の情報にあるものは終了です。
それにしても以外に大きな古墳であったと思います。
京町屋と同様に奈良市街地の住居も同じように間口が狭く奥へ長い敷地なので余計に大きく回ることになるようです。

『住吉神社
鎮座 奈良市今辻子町十番地
今から千三百年前平城京が造営されたとき、南北の幹線道路として作られた外京五坊大路(道幅二十三米)が今辻子町の始まりである。
今辻子郷は鎌倉時代からみられる郷名で永仁二年(1294)に東大寺大仏灯油注文に今辻子町の名が記されている。
住吉神社がいつ創建されたか明らかではないが、享保二十年(1735)発行の「奈良坊目拙解」に九頭神社一座、町会所裏に在りと記されている。
文政八年(1825)に造られ現存している御神体箱には九頭大明神と記されていて享保十七年(1732)屋根替えをした時の棟板にも「奉修造九頭大明神社」と記されていることから見ると、古来九頭大明神が祀られていた。
当時大陸との交易が盛んとなり奈良の都より役人や学者・文化人が中国方面に渡航するので、その海上の安全を祈るために海の神を祀ったと考えられる。
記録の上では住吉神社が出てくるのは明治以降のことである。
明治十六年の屋根替工事は九頭大明神、明治二十四年の全国神社調査報告では住吉神社となっている。
おそらくこの頃大阪の住吉大社からお祀りしたものと思われる。
行事は一月一日に歳旦祭、例祭は大阪の住吉大社と同じ七月三十一日、八月一日であったが近年は七月末の土・日曜日に行っている。
平成二十一年七月吉日』
※ 境内掲示より
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住吉大社から勧請してきたことは間違いなければ興味深い事ですが、九頭大明神の祭神は何処へ行かれたのでしょうか。
興味深いことに主祭神が不明の神社は数多く鎮座しています。
年月を経て祭事は行っていても、祭神にまで考えが持続しなかったのでしょうか。
詳細が不明なはずもありませんが、密かに誰かが祀ったなんてことも少なくなさそうです。