(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【:2022年06月12日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


xHOTZONE Go to xDataBase viewhalloo Tips p2pzigzag p2pzigzag hrkz p2pzigzag Go to Home evtcal reporter2

桜井市池之内 稚櫻神社


奈良県桜井市池之内に鎮座する「稚櫻神社(わかざくらじんじゃ)」です。

桜井市橋本に鎮座している春日神社(かすがじんじゃ)から、次に何処へと地図を見るとこの神社が近いことがわかりました。

ここには説明書きが掲示してあります。

注意書きと何やら由緒書きと思われる板もあるのですが、墨書が剥げ落ちて何とか読んでやろうと努力しましたが無理でした。

写真で加工すれば読めるのでしょうか。


『神社名「稚櫻(わかざくら)」の由緒(ゆいしょ)

日本書紀(にほんしょき)によると「第十七代履中(りちゅう)天皇三年(402)冬十一月六日」天皇が両枝船(ふたまたふね)磐余(いわれ)市磯池(いちしのいけ)(神社の東側にあった池に浮かべて、遊宴(あそ)ばれたとき膳臣(かしわてのおみ)余磯(あれし)が酒を(たてま)った。

その酒盃(さかずき)(さくら)の花びらが()ってきた。

天皇は大変不思議(ふしぎ)に思われ、物部(もののべの)長真胆連(ながまいのむらじ)をよんで、

「この花は季節(きせつ)(はず)れに (めずら)しく()ってきた。どこからだろうか(さが)してこい。」といわれた。

長真胆連(ながまいのむらじ)は花を(さが)したづねて、掖上室山(いけのへのむらやま)で花を()()れて(たてま)った。

天皇はその(めずら)しいことを(よろこ)んで(みや)()とされた。

磐余稚櫻宮(いわれのわかざくらみや)由緒(ゆいしょ)である。

長真胆連(ながまいのむらじ)本姓(もとのかばね)(あらた)めて稚櫻部造(わかざくらべのみやつこ)とし膳臣(かしわてのおみ)余磯(あれし)を名づけて稚櫻部臣(わかざくらべのおみ)という、」と記されている。

稚櫻神社(わかざくらじんじゃ)御祭神(ごさいじん)

出雲色男命(いずもしこおのみこと)

新撰姓氏録(しんせんしょうじろく)」によると物部氏(もののべし)御先祖(ごせんぞ)饒速日命(にぎはやひのみこと)三世(さんせい)子孫(しそん)出雲色男命(いずもしこおのみこと)で、また、(さくら)の花を探し求めた物部(もののべの)長真胆連(ながまいのむらじ)稚櫻部造(わかざくらべのみやつこ))の四代前の祖先にもあたります。

旧時本記(くじほんき)」に「出雲色男命(いずもしこおのみこと)は第四代懿徳(いとく)天皇の御代懿徳(いとく)大夫(まえつぎみ)となり、次に大臣(おおまえつぎみ)となる。

大臣(おおまえつぎみ)という()は、この(とき)からできた。」とあります。

去来穂別命(いざほわけのみこと)履中(りちゅう)天皇)

第十六代仁徳(にんとく)天皇の皇太子で「日本書紀」の履中(りちゅう)天皇紀に「元年(400)春二月一日皇太子(去来穂別命(いざほわけのみこと))は磐余稚櫻宮(いわれのわかざくらみや)で即位された。」と記され池之内に都をつくられたことがわかります。

二年十一月磐余池(いわれいけ)を作られた。

気長足姫命(おきながたらしひめのみこと)神功皇后(じんぐうこうごう)

神功皇后(じんぐうこうごう)は第十四代仲哀天皇の皇后(こうごう)で、天皇がお(かくれ)れになったので、天皇にかわって政務をとられる摂政となられた。

「日本書紀」神功皇后(じんぐうこうごう)摂政紀(せっしょうき)に「三年春正月三日誉田別皇子(ほむだわけのみこ)(後の第十五代応神(おうじん)天皇……八幡大神(はちまんおおかみ))を立てて皇太子(こうたいし)とされた。」

そして磐余(いわれ)(みやこ)をつくられた。」と記されている。』

※ 境内掲示より


境内には数多い石標に神名が刻まれて祀られているのと小神祠が至る所に鎮座しています。

鎮座地は興味深い場所です。


関連情報レポートリンク

【桜井市 神社一覧】


関連情報レポートリンク

【京跡・宮跡一覧】〔推定年度〕