(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【:2022年06月06日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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奈良市鹿野園町 八阪神社


奈良県奈良市鹿野園町に鎮座する「八阪神社(やさかじんじゃ)」です。

以前にこの山麓株に鎮座する護国神社(ごこくじんじゃ)に参拝した時にこの神社が鎮座していることに気付いたのですが、土地勘もなく地理不案内で訪問を断念しました。

今日は東金坊地蔵尊(とうこんぼうじぞうそん)に参拝して下ってきました。

自治会の気合の入った説明書きが、それぞれ掲示されているので大変ありがたいことに参考になります。

これほどの盛り沢山の内容の掲示は殆ど見かけたことはありません。


『鹿野園町 八阪神社(やさかじんじゃ)

御祭神

 摂社 木華開耶媛命(このはなさくやひめのみこと)  摂社 天照皇大神(あまてらすすめおおかみ) 本殿 八柱御子神(やはしらのみこがみ)  摂社 木華開耶媛命(あめのこやねのみこと)  摂社 事代主之命(ことしろぬしのみこと)  摂社 大国主之命(おおくにぬしのみこと)

この神社には上の六社が鎮座されている。

本殿の「八柱御子神(やはしらのみこがみ)」は天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)須佐之男命(すさのおのみこと)が誓約して生まれた宗像の三女神、天忍穂耳以下五男神の総称で、京都八坂神社(やさかじんじゃ)等で祀られている。

天明五年(1785)の鹿野園村「氏神謝境内改帳」によると、鹿野園村字東宮に八王子大明神(はちおうじだいみょうじん)天照皇大神宮(あまてらすこうたいじんぐう)春日大明神(かすがだいみょうじん)の三社があり、戌亥の字西ノ宮(西北)には大国神社(おおくにじんじゃ)大国主之命(おおくにぬしのみこと)」と蛭子神社(えびすじんじゃ)事代主之命(ことしろぬしのみこと)」の二社が鎮座されていた。

三ヶ所が現在の形に合祀されたのは明治五年以降のことである。

神社は旧名八王子大明神(はちおうじだいみょうじん)と称したが、明治三年に八阪神社(やさかじんじゃ)と改めた。

ところが明治八年に八柱神社(やはしらじんじゃ)と改称すべき旨通達があり、明治二十七年再び元の八阪神社(やさかじんじゃ)に改称するよう通達があったので改めた。

明治三十四年「添上郡祭神由緒帳」に鎮座由来についての報告があり、「当社往昔梵福寺(ぼんぷくじ)(或説に旧岩淵寺(いわふちじ)の一院なるか)鎮守と而巳、鎮座年月日は今不詳と雖も村有簿冊帳によれば天正(1570頃)以前の神社なることは明白なり」と記されている。

現在自治会に於いて年七回の祭事を行っている。

  一月三日 えびす祭「事代主之命(ことしろぬしのみこと)

  二月十七日 新年祭

  六月一日 (ちまき)

  七月二十日 夏祭「木華開耶媛命(このはなさくやひめのみことゃ)

  九月一日 八朔(はっさく)

  十月第二日曜日 秋季大祭

  十一月二十三日 新嘗(にいなめ)

平成二十四年(2012)一月作製

鹿野園(ろくやおん)自治会』

※ 境内掲示より



鹿野園(ろくやおん)の由来

鹿野園(ろくやおん)は万葉集に歌われた高円山西南麓に位置し、地元では「ろっきゃお」と呼んでいる。

鹿野園(ろくやおん)という地名の由来は、奈良時代(752)東大寺(とうだいじ)大仏開眼法要の導師を勤めたインドの婆羅門僧正「菩提僊那」が、鹿野園(ろくやおん)の地形がインドのサールナート(鹿野園(ろくやおん))に良く似ているところから、鹿野園(ろくやおん)と名付けたといわれている。

サールナートは仏教の聖地で仏像製作の中心地として栄えたところであり、釈迦(しゃか)が悟りを開き五人の弟子に説法した五聖地の一つで、鹿が多くいたことから漢訳経典で鹿野苑と書かれている。

奈良市北東部の忍辱山、誓多林、大慈仙、菩提山とともに、いずれもインドに現存する地名である。

添上郡鹿野園村の慶長から元禄までの郷帳では村高四百八十石、寛延四年頃(1750)の「宗国史」によれば、家数65・人数303とあり、近世の初め御番衆領、次いで幕府領、元和五年(1619)津藩(藤堂藩)領、明治二十二年添上郡東市村大字鹿野園となり、その後昭和二十六年奈良市鹿野園町となった。

鹿野園(ろくやおん)には今は無き梵福寺(ぼんぷくじ)という寺が存在していた。

奈良時代鑑真(がんじん)僧正の弟子「善謝(ぜんしゃ)」が庶民と一体となり悟りを開こうと梵福寺(ぼんぷくじ)を建立したと伝えられている。

「大和誌」や「日本後記」「東市村誌」には梵福寺(ぼんぷくじ)についての記述がある。

本尊の十一面観音(じゅういちめんかんのん)像は像高95cmの立像で、華瓶を持ち錫杖を執る長谷寺(はせでら)本尊形式の像である。

室町期の宿院仏師作と考えられる。

また不動明王(ふどうみょうおう)立像と制多迦童子(せいたかどうじ)矜迦羅童子(こんがらどうじ)の脇侍が三尊像になっており、これらは町の文化財として鹿野園(ろくやおん)町集会所の奥の間に安置されている。

町内を東西に走る道は旧伊勢街道で、東山間地域と奈良の町を結ぶ唯一の道であり、大坂や奈良付近の人々が往来した。

現在、町の東には東海自然歩道と山の辺の道が存在し、地元住民はじめ一般の散策道となっている。

山の辺の道脇の竹林の中には身ノ立山不動明王(ふどうみょうおう)堂がある。

本尊は高さ156cm古式の大きな石仏である。

平成二十四年(2012)一月作製

鹿野園(ろくやおん)自治会』

※ 境内掲示より


もっと早く訪問参拝すれば良かったと思うのですが、アクセス経路が不安であったという事です。


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