(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【:2022年05月04日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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奈良市薬師堂町 御霊神社


奈良県奈良市薬師堂町に鎮座する「御霊神社(ごりょうじんじゃ)」です。

奈良市陰陽町に鎮座する鎮宅霊符神社(ちんたくれいふじんじゃ)近くの脇道の入り口に「一家揃って参拝 御霊神社(ごりょうじんじゃ)へ ここは陰陽町」と書かれた板垣が掲示されていました。

御霊神社(ごりょうじんじゃ)の予備知識が無くて何処に鎮座しているのか考え込んでいたのですが、本日最後の訪問が此処になりました。

一緒に老夫婦と孫の男の子と参拝することになったのですが、頭に鹿の帽子をかぶっていて私たち夫婦も孫に買おうかななんて思ってしまいました。

自分の子供には絶対に買わないのに、ジジババは身勝手ですね。。


御霊神社(ごりょうじんじゃ)

御祭神

井上皇后(いがみこうごう)他戸親王(おさべしんのう)事代主命(ことしろぬしのみこと)早良親王(さわらしんのう)藤原広嗣(ふじわらのひろつぐ)藤原大夫人(ふじわらのだいふじん)伊予親王(いよしんのう)橘逸勢(たちばなのはやなり)文屋宮田麿(ぶんやのみやたまろ)

御由緒

当神社は延暦十九年(800)人皇第五十代 桓武天皇の勅命により御創祀された社であります。

宝亀六年(775)聖武天皇の皇女で光仁天皇の皇后井上内親王は政権争いに巻き込まれ、無実の罪により、御子他戸親王(おさべしんのう)とともに宇智郡(五條市)に幽閉されたのちに薨逝去されました。

その後、都や桓武天皇東宮に怪しき事が度々あり、疫病が流行したことから諸国の国分寺に金剛般若経を読経させ、墳墓を改葬して山稜とし、吉野皇太后の追号を贈られて霊を篤く慰められた。

悲運のうちに亡くなった人の霊魂に対し、畏怖の念を抱き、その霊を祀り、その威力によって災厄をを逃れようとする御霊信仰がうまれました。

当寺、奈良の町に通じる三つの街道があり、上つ道に早良親王(さわらしんのう)、中つ道に井上皇后(いがみこうごう)、中つ道に他戸親王(おさべしんのう)の御霊を祀り、疫病封じ平穏を祈る御霊会が営まれ、町の守護神として五條本宮より遷祀されたのが当社のはじめであります。

宝徳三年(1451)土一揆により元興寺(がんごうじ)金堂以下要堂宇が火災で焼失し、このとき井上郷(奈良市井上町)の井上御霊社も焼失しました。

その後、現在の地に遷座されたと伝えられています。

御本殿に井上皇后(いがみこうごう)他戸親王(おさべしんのう)の神霊二座、東側社殿に早良親王(さわらしんのう)藤原広嗣(ふじわらのひろつぐ)藤原大夫人(ふじわらのだいふじん)の神霊三座、西側社殿に伊予親王(いよしんのう)橘逸勢(たちばなのはやなり)文屋宮田麿(ぶんやのみやたまろ)の神霊三座をお祀りし、あわせて八所御霊大神と申し上げます。

奈良町の中心に位置し、県下唯一の広範囲である氏子地域七十余町を守護する氏神でもあります。

御神徳

すべての禍事・災難を取り除き、国家守護。家業繁栄、福徳円満、平和の神として幅広い信仰をあつめております。』

※ 境内掲示より


境内に掲示されている案内板と少し内容が異なりますが、大まかには同じでしょう。


桓武天皇勅願所

祭神

早良親王(さわらしんのう)藤原大夫人(ふじわらのだいふじん)藤原廣嗣(ふじわらのひろつぐ) 本殿 井上皇后(いがみこうごう)他戸皇太子(おさべこうたいし)事代主命(ことしろぬしのみこと)(えびす様) 右 伊豫親王(いよしんのう)橘逸勢(たちばなのはやなり)文屋宮田麿(ぶんやのみやたまろ)

例祭 十月十三日』

※ 境内掲示より



御霊神社(ごりょうじんじゃ)

御霊神社(ごりょうじんじゃ)は、社伝によると井上皇后(いがみこうごう)他戸親王(おさべしんのう)ら八神を、お祭りしています。

このあたりは、奈良時代には元興寺(がんごうじ)の寺域であり、御霊神社(ごりょうじんじゃ)付近には南大門があったと推定されています。

古くはその門前に御霊社の社地があり、御霊をなぐさめる御霊会(ごりょうえ)が催されたといい、十五世紀には猿楽(さるがく)などの芸能も行われました。

今も奈良町を中心に、広範囲な信仰を集めています。

奈良市教育委員会』

※ 境内掲示より


一時は奈良市に住んでいてバスに乗って散歩するためによく来ていたのですが、東の猿沢池から飛火野方面ばかり行って、市街地へは来たことがありませんでした。

今日は主に近鉄奈良線より南側の市街地を歩いてみて知らなかったことばかりです。

また来ます。


関連情報レポートリンク

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