(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【:2022年02月10日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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桜井市三輪 曹洞宗 三輪山 平等寺


奈良県桜井市三輪にある「曹洞宗 三輪山(みわさん) 平等寺(びょうどうじ)大神神社(おおみわじんじゃ)〕」です。

大神神社(おおみわじんじゃ)を幾度か訪問参拝していたのですが、平等寺(びょうどうじ)が存在していることは解っていたのですが、何処にあるのかよく解りませんでした。

今回も目指してやってきたのですが、途中から経路が解らなくなり、「山の辺の道」を散策していそうな方と出会い尋ねたのですが、今一つはっきりとしないままに歩を進めると偶然にも平等寺(びょうどうじ)の入り口に到着出来ました。

それにしても「廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)」なんてよくやったなと思います。

歴史と文化の全否定ですから、明治維新って一体何だったのかと思いを募らせるばかりです。


三輪山(みわさん) 平等寺(びょうどうじ) 由緒

三輪山(みわさん) 平等寺(びょうどうじ)は、その開基を聖徳太子と伝え、永遠の平和を祈願する霊場として創建されました。

鎌倉時代の初期、中興の祖、慶円上人(三輪上人 1140 - 1223)を迎えるに及び、東西 500m、南北 330mの境内に、本堂、護摩堂、御影堂、一切経堂、開山堂、赤門、鐘楼堂のほか、十二坊舎の大伽藍を有し三輪社奥の院として、由緒ある名刹でありました。

平等寺(びょうどうじ)は三輪別所とも呼ばれ、高徳の上人を中心に、仏教の奥義をきわめんとする行学一如の根本道場として栄えました。

東大寺(とうだいじ)の宗性は嘉禎元年(1235)八月二十日に平等寺(びょうどうじ)において、法華、唯識、般若三観抄を写し、幾度も当山を訪れたことや、建長二年(1250)正月、西大寺(さいだいじ)の叡尊も三輪別所一乗上人の禅堂に参詣した史実も明らかで、鎌倉時代の平等寺(びょうどうじ)には、仏法、学問の奥義を求東大寺めて多くの人々が参詣しました。

室町、江戸時代には醍醐寺(だいごじ)三宝院(さんぽういん)、南都興福寺(こうふくいじ)とも深く関係し、八十石の朱印地を持ち修験道の霊地でもありました。

また、慶長五年(1600)九月十五日関ヶ原の合戦で敗れた薩摩の領主、島津義弘主従がこの寺に逃げ込み十一月二十八日まで七十日間滞在し無事帰国されました。

しかし残念なことに、明治維新になって、政府の廃仏毀釈(仏を廃し神を敬する)の令きびしく、大神神社(おおみわじんじゃ)の神宮寺であった平等寺(びょうどうじ)は、ことさらにそのあらしを強く受け、有名な金屋の石仏を始め六十一体にのぼる仏像が他所に運び出され、堂塔ことごとく整理を迫られましたが、幸いにその直後小西氏より境内内地の寄進を受け再興の道が開かれ、覚信和尚や町内有志の方々の努力により塔頭の一部を境内に移し、本尊秘仏十一面観世音菩薩、三輪不動尊、慶円上人像、仏足石等が守られ、梁天和尚が翠松庵の寺号を移し禅曹洞宗に改宗し法燈を護持しました。

聖徳太子はじめ歴住諸大和尚の慈恩に報いるべく平等寺(びょうどうじ)の再興のために微力ながら勧進托鉢行を続けてきましたが、廃仏毀釈より百年目を迎えた昭和五十二年六月四日付けで平等寺(びょうどうじ)と寺号が復興され、幾十万の人々よりご喜捨を賜り、ありがたくも本堂、鐘楼堂、鎮守堂、翠松閣、釈迦堂(二重塔)の復興をはじめ前立本尊十一面観世音菩薩のご造立をみることができましたのは、すべて神仏のご加護と皆々様の真心からなる奉賛のたまものと深く感謝いたしております。

ご参詣の皆様、ご奉賛の皆様方にお釈迦様の慈悲の光明が無限に照り輝きますように、心からお祈り申し上げます。

慶円禅観上人八百回大遠忌記念

平成二十六年(2014)四月八日

三輪山(みわさん) 平等寺(びょうどうじ) 七十四代 丸子孝法 合掌』

※ 境内掲示より



三輪山(みわさん) 平等寺(びょうどうじ)

三輪山(みわさん) 平等寺(びょうどうじ)は五百八十一年聖徳太子が賊徒を平定するため三輪明神大神神社(おおみわじんじゃ)に祈願して賊平定後十一面観音を刻んで寺を建立し、大三輪寺と称したのにはじまります。

鎌倉時代初期、慶円上人を迎え平等寺(びょうどうじ)と改称してからは大伽藍が再建され、仏法の根本道場として栄えました。

明治の初期、廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)によって堂燈ことごとく整理をせまられましたが、今日再び復興され、心を耕す禅の寺として多くの人々に親しまれております。』

※ 境内掲示(境内案内図)より


本堂

昭和六十二年再建され、聖徳太子の御自作と伝えられる本尊、十一面観世音菩薩はじめ薬師如来、阿弥陀如来、地蔵菩薩、聖徳太子像をまつる。』

※ 境内掲示(境内案内図)より


二重塔釈迦堂

平成十六年八百年ぶりに再建され、中央に生身釈迦佛、平等寺仏足石、インドダルマラジカ寺伝来の仏舎利をまつる。』

※ 境内掲示(境内案内図)より


境内案内図によると他にも数多くの紹介すべきものがあるのですが、水行事社と岩屋不動と不動の滝は未訪問です。

大神神社(おおみわじんじゃ)にはまた参拝するつもりですので、その時の楽しみにしておきます。

いずれにしろようやくたどり着けたことを嬉しく思います。

以前にこの近くまで来ているはずですが残念ながらこの周辺の記憶はありません。

人の記憶は興味が無ければ思い出すことは難しいのでしょうか。


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【大和北部八十八箇所霊場一覧】〔※確認中・廃絶〕


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【★】は、参拝は、不可、又は事前連絡要の寺院