
奈良県奈良市角振新屋町に鎮座する「隼神社」です。
説明書きの住所と鎮座地の住所が異なるのは、移転したのか住所表示変更があったのかどちらかですが、この神社が移転したとは思えません。
隣接して地蔵堂がsります。
山間部で住所の特定が難しいのはよくあるのですが、市中では京都市内以外はあまり経験がありません。
この周辺はかなりの回数訪問した筈ですが、全く記憶にありません。

『奈良市角振町四十四番地鎮座
隼神社由緒書
御祭神
角振隼総別命
(神武天皇の大和平定に寄与し給ふた大神で、昔から柿を神木として神殿を設けず)
配祀 市寸島姫命
(もと社頭は神宮寺庭内で何れの頃にか神木の傍に社殿を設けて奉還す)
御鎮座大要神
人皇三十四代 舒明天皇御世僧安五年二月、芽努王勅を奉して春日の邑、率川坂上に祭り給ふ
由来朝家の崇敬厚く平安遷都と共に特に京師に遷し給ふた

隼神社の本社は此方で神階も天暦五年に無位から従三位と封戸五烟とを奉り寛弘三年には一躍正二位に進め給ふた
又年中の祭資は別当の神宮寺、大慈院、久福寺の三ヶ寺が毅然として承はりしに惜いかな、治承四年平中将重衝の兵火に罹り別当寺と共に炎上す
爾来柿の老樹を神木と仰ぎ恒例の神事を行ふ、何れの頃か神木の傍らに小祠を設けて宗像神を遷す之はもと神宮寺の庭内社と称す降つて建治四年興福寺の大火後、再度の火難に類焼して終に現状の小祠となりしは嘆いても余りあり
以上
御子守縁起同書に引く 大政官符 成身院英俊記録
日本紀畧 元要記 大和志 防目考 保元物語等要約す

年中祭祀
大祭 四回
祈念祭 毎 二月一日
例祭 毎 七月七日と八月一日 両度
新嘗祭 毎 十一月二十一日
中祭 四回
元三祭(歳旦祭) 正月元旦
紀元祭(建国記念の碑) 毎 二月十一日
天長祭(天皇誕生日) 聖上降誕日
明治節(文化の日) 毎 十一月三日
小祭 十二回
月次旬祭 毎月一日
以上』
※ 境内掲示より(カタカナは平仮名に変換)
変わった号名であると思うのですが、祭神の名前からきているのでしょう。