(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【:2022年01月30日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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奈良市油阪町 浄土宗 草鞋山 西方寺


奈良県奈良市油阪町にある「浄土宗 草鞋山(そうあいざん) 西方寺(さいほうじ)」です。

油坂から東へ進む坂の登り口にあります。

道路を挟んでかなりの数のお寺があるのですが、京都にしても奈良にしても是だけの数のお寺が維持できている事がなかなか容易に想像できません。

大きければそれだけ維持費も掛かると思うのですが、大変でしょうね。


草鞋山(そうあいざん) 西方寺(さいほうじ) 由来記(さいほうじ)

一、 当山西方寺(さいほうじ)法然聖人(ほうねんしょうにん)と宗祖と仰ぐ浄土宗である。

二、 御本尊は木造阿弥陀如来(あみだにょらい)坐像(重要文化財)である。

   平安時代の高僧慈覚大師(しかくたいし)の作と伝えられている。

   別名、心経念佛の弥陀と称せられ国に重要文化財指定を受けている。

三、 開基は行基菩薩(ぎょうきぼさつ)多聞山(たもんやま)(現在の若草中学校の辺り)に建立されたのであるが、室町時代松永(まつなが)弾正(だんじょう)多聞城(たもんじょう)を築くに当り永禄二年(1559)当寺中興の祖、祐全上人(ゆうぜんしょうにん)、現在地に移築再興せられたものである。

四、 人皇百二代正親町天皇(おおぎまちてんのう)より御綸旨を賜わる。

   当寺中興の祖、祐全上人(ゆうぜんしょうにん)の業績を喜せられ南都総墓所としてあらゆる宗派にかかわりなく万人の斎度の寺として、奈良時代より始まった火葬霊場、即ち万物万霊の菩提を弔う寺としての御綸旨を賜わったのである。

五、 当寺は剣聖宮本武蔵無名の頃止宿逗留して修行した時代があり、納骨堂、万霊供養塔、厄除銀杏、茶室空庵、垂乳根地蔵尊、みてござる観音、手向の鐘、祐全上人(ゆうぜんしょうにん)木像(奈良市文化財指定)等がある。

正親町天皇

        南都総墓所

御綸旨霊場

草鞋山(そうあいざん) 西方寺(さいほうじ)

※ 境内掲示より



『奈良市指定文化財

木像祐全上人(ゆうぜんしょうにん)坐像 一躰

附 厨子一基、棟札一枚、再興注文一紙

檜材・寄木像・彩色・玉眼

像高 79㎝

昭和五十四年五月十四日指定

寺伝によると東大寺(とうだいじ)の別院であった西方寺(さいほうじ)はもと北方の佐保山にあったが、多聞城(たもんじょう)築城の際に東大寺(とうだいじ)の勧進聖であった祐全上人(ゆうぜんしょうにん)がこの智に寺を移築し再興したという。

この像は、合掌する祐全上人(ゆうぜんしょうにん)を写実的に表したもので、像内の墨書銘から室町時代の弘治二年(1556)に宿院仏師の源次と子供の源四郎・源五郎が作ったことがわかる。

宿院仏師は、十六世紀に奈良を中心に活躍した仏師集団で多くの仏像をつくったが、肖像の作例は少なく、この坐像は、宿院仏師の肖像彫刻として貴重なものである。

平成十七年十二月

奈良市教育委員会』

※ 境内掲示より


総墓地と言うだけあってかなりの広さです。


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