(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【:2021年08月26日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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宇陀市菟田野下芳野 常盤御前の隠れ家・井戸


奈良県宇陀市菟田野下芳野にある「常盤御前(ときわごぜん)の隠れ家・井戸」です。

最初は看板を読んだのですが、井戸の存在に気付きませんでした。


常盤御前(ときわごぜん)(義経の母)の隠れ家・井戸

常盤御前(ときわごぜん)は、永治七年(1141)十五歳の時、第七十六代近衛天皇の皇后、九条院の雑仕女(女中)となりました。

「千人の美女の中から百人を選び、その中から十人、更に残った最後の一人」と讃えられるほどの美人だったので、すぐに源氏の頭領、源左馬頭義朝に見初められて三人の子をもうけました。

三子とは今若、乙若、牛若(後の義経)であります。

源義朝が平治の乱(1160 - 1164)で平清盛との戦いに敗れ命を失い、常盤御前(ときわごぜん)も追われる身とないました。

「捕えられれば、自分だけなく子供たちが命も危ない」常盤(ときわ)は京都から逃れて吉野、龍門から宇陀へと、雪の大和路を幼い男の子三人(七歳、五歳、二歳)をつれて逃亡しました。

追手の厳しいなかを、やっとの思いで生まれ故郷下芳野の岸の岡へとたどり着き、岸の岡に足をとどめ、隠れ住むようになりました。

御前が使ったと伝えられる井戸は常盤井戸(ときわいど)の名称でも今も残っており、その付近は常盤屋敷(ときわやしき)と言われています。

又、常盤御前(ときわごぜん)の念持仏が、200m当方の「妙香寺(みょうかじ)」に安置されています。

鞍馬山で武術を修行した牛若丸と京都五条大橋で弁慶との出会いはあまりにも有名な話であり、幼い頃下芳野で暮らした牛若を想い浮かべたいと思います。

菟田野観光協会 神話の会』

※ 境内掲示より


不思議ですね。


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