(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【:2021年03月04日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


xHOTZONE Go to xDataBase viewhalloo Tips p2pzigzag p2pzigzag hrkz p2pzigzag Go to Home evtcal reporter2

桜井市穴師 纒向日代宮伝承地〔纒向遺蹟〕


奈良県桜井市穴師にある「纒向日代宮(まきむくひしろのみや)伝承地〔纒向(まきむく)遺蹟〕」です。

よく耳にするのですが、何処にあるのかは全く知りませんでした。

今回も穴師坐兵主神社(あなしにますひょうずじんじゃ)大兵主神社(だいひょうずじんじゃ)相撲神社(すもうじんじゃ)を訪問参拝しようとやって来て道中で説明書きの存在に気付きました。

読んでみて驚かされました。


纒向日代宮(まきむくひしろのみや)伝承地

纒向日代宮(まきむくひしろのみや)は、第十二代景行天皇(けいこうてんのう)が営んだ宮です。

記紀によりますと景行天皇(けいこうてんのう)の時、皇子の小碓尊(おうすのみこと)、別名、倭建命(やまとたけるのみこと)が活躍したとされています。

倭建命(やまとたけるのみこと)は、天皇の命を受けて大和に従わない九州の熊襲(くまそ)や出雲の国へ、一度帰朝してまた東の国々へと遠征を重ね、次第に服従させていったという古代の英雄です。

「倭は国のまほろば たたなづく青垣 山ごもれる 大和し美し」※は、(みこと)が遠征の帰途、病を得て亡くなる時にふるさと大和への思いを詠まれた歌の一節とされています。

※ 日本書紀には、景行天皇(けいこうてんのう)が九州の日向の国で詠まれた歌とされています。

記紀万葉の勅語(景行天皇(けいこうてんのう)の条)倭建命(やまとたけるのみこと)熊襲(くまそ)遠征の物語・倭建命(やまとたけるのみこと)の東国遠征の物語

※ 境内掲示より



『― 初期ヤマト王権の発祥の地 ―

纒向(まきむく)遺蹟

纒向(まきむく)遺跡は、初期ヤマト王権発祥の地として、あるいは邪馬台国(三世紀ごろ)の東の候補地として全国的にも著名な遺跡であり、遺跡の範囲は古代からの信仰の山、三輪山を背にして、このあたりの山麓から西方を望む地域一帯に広がっています。

この遺跡は、広大な面積を有することや、九州から関東にいたるまでのさまざまな地域の土器が全体の15%前後も出土していること、箸墓(はしはかく)古墳を代表として纒向石塚古墳、ホケノ山古墳など六墓の発生期の前方後円墳が集中して築かれていること、農耕具がほとんど出土せず土木工事用の工具が圧倒的に多いことなど他の一般的な集落とは異なる特徴を多いことなど他の一般的な集落とは異なる特徴を多くもっています。

また、附近には、景行天皇の纒向日代宮(まきむくひしろのみや)跡や垂仁天皇の纒向珠城宮(まきむくたましろのみや)跡の伝承地もあり、このことから纒向(まきむく)遺蹟は、我が国最初の「都市」、あるいは初期ヤマト政権の「都宮」とも目されています。

纒向(まきむく)遺蹟が栄えていたころの古代の都市を再現しイメージ図にしてみました。

現在の風景を眺めながら当時の様子を思い浮かべていただいてはいかがでしょうか。

纒向遺跡の弧文円盤

纒向石塚古墳の周濠から出土した木片を円盤状に還元したもので特徴的な弧状の文様が複雑に組み合わされています。

木片は、1枚の木板に文様がくり抜かれていて、円盤であれば直径 56cm 程度の大きさがあったと推定されています。

使途は不明ですが、その形状から信仰・呪術に関する用具ではないかと考えられています。 』

※ 境内掲示より


山麓に広がる傾斜の緩やかな扇状地に宮を築いたようです。

人の営みの中でも都市づくりにはかなりの知恵が繰り出されているようです。


関連情報レポートリンク

【京跡・宮跡一覧】〔推定年度〕