
奈良県天理市柳本町にある「伊射奈岐神社」です。
崇神天皇陵の周辺にはかなりの数の神社が鎮座していることは知っていましたし、この神社も駐車余地がない上に道路の通行量も多くてどうして参拝しようかと思案していました。
道路沿いの社叢だと思っていたのは「大和天神山古墳」だということで納得です。

『伊射奈岐神社御由緒
古代政治・経済の中心であった大和平野の東部、天神山古墳を境内として鎮まる「伊弉諾尊」「伊邪冉尊」の由緒は、社記が天文年間に焼失したために創建年代、規模等は詳しくはないが崇神天皇の御代に御崇祭されたものであります。
第五十六代清和天皇の貞観元年(859:平安時代)に神位にご増進され、第六十代醍醐天皇の御代(901 - 14年藤原時代)の「延喜式神名帳」に列せられ「官幣に預り賜う」とあります。
その後鎌倉、南北朝、室町じだいにかけての国内の兵乱によって神社は衰退したが、寛永十八年(1641)に二代目柳本藩主織田修理正長種公が三町程東(柳本町山田北側の台地)からこの地に移され本殿を造営、産土神として人々から崇敬されてきました。
明治四年五月太政官布告に基づき柳本藩社となりその後県社から区画改正によって柳本村社となりました。
崇神天皇の御代の崇祭は、伊勢神宮と殆ど同時期に創建された最も古い神社であり、日本武尊が東国征伐の出陣に際し、弟橘比売命を妃に迎えて間もない命は我が身を按じ当神社で戦勝祈願をして伊勢へ出立したことも、当社から大和朝廷の崇敬が厚かったことを物語っています。
會ての柳本町大字、小字に祭られていました神々は現在境内の各所に祭られています。
伊射奈岐神社』
※ 境内掲示より
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