
奈良県天理市成願寺町にある「マバカ古墳〔刀根早生柿発祥の地〕」です。
何時もは通り過ぎていたのですが、今回はの方向から来て信号待ちをしていると何やら説明書きのような看板に目が留まりました。
上に登っていく道沿いには石碑が立っているのが見えました。
柿の木が沢山植わっていましたが、なんと古墳で前方後円墳の中央部に道路があります。

『マバカ古墳
マバカ古墳は、大和(萱生)古墳群の南寄りに位置する前方後円墳で、墳丘の全長は、約80mの規模に復元される。
明治年間の記録では、勾玉・管玉が出土したというが、埋葬施設の状況は明らかでない。
道路建設に伴う発掘調査では、古墳前方部の西側において濠状の区画や、池状の落ち込みなどの遺構が検出された。
また、古墳北西部の調査では、幅27mほどの川跡から大量の古式土師器や須恵器、円筒埴輪などの遺物が検出され、古墳の南側の調査では、古式土師器をふくむ溝や土杭などの遺構が検出された。
古墳は、墳形や周辺の出土遺物から、大和(萱生)古墳群の中でも、最も遡る時期に築造されたものであると考えられる。
なお、以降は道路の下に保存されている。』
※ 境内掲示より

周濠も道路になっていて埋められているようです。
説明書きの規模程の雰囲気はありませんが、図を見るとかなりの大きさであったことがうかがえます。
それにしても皇族の古墳と比定や推定されている以外の古墳の扱いはひどいものです。
私としてはもっと調査して皇族以外の古墳に埋葬されている人物について解き明かさないと日本史なんて嘘ばかりで糊塗されているのではないかと思います。
仁徳天皇陵や応神天皇陵と言われている古墳が誤っていれば古代史は根底から覆ります。
研究者はどう考えているのでしょうか。