(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【:2020年07月30日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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磯城郡田原本町為川北方 大神宮・地蔵尊・金毘羅・社殿


奈良県奈良県磯城郡田原本町為川北方にある「大神宮・地蔵尊・金毘羅・社殿」です。


『田原本町 町・村の歴史 大字

為川北方(ためがわほっぽう)

大字 為川北方(ためがわほっぽう)概要歴史

 大字為川北方(ためがわほっぽう)は田原本町東部にあり、初瀬川東部にあり、初瀬川右岸、古代の中ツ道(後の橘街道)の東側に位置する。

 大字為川(ためがわ)の地名は「田部川」から転じたもので古代屯倉の農民の「田部」に由来する。

大神宮・地蔵尊・金毘羅・社殿

奈良時代 古代中ツ道(後の橘街道)が大字為川北方(ためがわほっぽう)の西側を通る。

南北朝時代 貞和三年(1347) 「蔵堂田部河五十四町半」の田部河は為河と思われる。

室町時代 天文十五年(1547) 「為川 田原本町薗進官入地四反」

江戸時代 御番衆領 ⇒ 元和三年(1615)郡山領 ⇒ 延宝七年(1679)幕府領 ⇒ 甲斐

 村高 「旧高旧領」に北為川村二百十石余 北為川新田 四石余

寛政十一年(1799) 大神宮石燈籠造立

 幕末 為川村が為川北方・為川南方・為川中条方に分村。為川北方を北為川村・田中村・為川新田と云われ、後、為川北方と呼ばれる。

 江戸時代からから明治二十二年 村名 為川北方(ためがわほっぽう)

明治以降

明治十五年(1882)頃 村状況 戸数十二戸 人口六十人(男 二十九人 女 三十一人)

 物産 米百五十七石余 麦三十一石 蚕豆 十五石 大豆 十一石 菜種 十八石 草綿 三千六百斤

明治二十二年(1889) 川東村大字為川北方

昭和三十一年(1956) 田原本町大字為川北方

為川北方自治会』

※ 境内掲示より


集落に入ると説明書きがありました。