
奈良県奈良市柳生町にある「疱瘡地蔵」です。
前回訪問時には六地蔵磨崖仏をこの地蔵様だと思っていました。
毎度のことですが、少しだけ案内をしてくれると嬉しいのですが残念です。
私は近くなので再訪問も簡単ですが、遠方より訪問した方は残念である気持ちしか残りません。
「正長元年柳生徳政碑」は、拓本を取ったのでしょうか、黒っぽく感じます。
自分本位でマナーの無い人がいるなと思います。

『疱瘡地蔵
この石仏は、元応元年(1319)の刻印をもつ古いもので、疱瘡よけを祈願して作られたと伝えられています。
この像の右下には、「成長元年ヨリサキカンベ四カンゴウニヲヰメアルベカラズ」と彫られており、「正長元年(1428)以後は春日社領四カ郷(大柳生・柳生・阪原・邑地)には負債はない」という意味で、徳政一揆の際に農民が貸借なしを宣言した貴重な記録です。』※ 境内掲示より
毎度感じていることは、観光地などの道標では、土地勘の無い人は辿り着けません。
想い起せば「飛鳥サイクリングマップ」には、閉口した記憶があります。
知っている人が作ると知らない人の事に思いが及ばないのでしょう。

『史跡 正長元年柳生徳政碑
昭和五十八年五月十九日指定
元応元年(1319)十一月の銘をもつ「ほうそう地蔵」の向かって右下、長方形の枠取りの中に「正長元年ヨリ/サキ者カンへ四カン/カウニヲヰメアル/ヘカラズ」と刻む。
大正十四年に地元柳生町の研究者杉田定一氏が正長元年(1428)の徳政を祈念する碑文とし、「正長元年より先は神戸四箇郷(春日社領の大柳生・柳生・阪原・邑地)に負目あるべからず」とその文意が現在解釈されている。
石刻の時期については諸説あるが、正長徳政一揆によって行われた負債の取り消し(徳政)について民衆が刻み残した資料としてその価値は高い。
奈良市教育委員会』
※ 境内掲示より
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大岩に地蔵菩薩が彫られています。