(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【:2020年03月31日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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山辺郡山添村伏拝 八幡神社


奈良県山辺郡山添村伏拝に鎮座する「八幡神社(はちまんじんじゃ)」です。

早くからこの神社が鎮座していることは認識していたのですが、例によってアクセス経路が判明できずに訪問参拝が先送りになっていました。

やってきました。

集落内の道が狭くて急なことが多く入り込むことを躊躇っていました。

山添村の神社も残り少なくなってきたので意を決して


八幡神社(はちまんじんじゃ)由緒

八幡神は、「はちまんしん」または、「やはたのかみ」ともいう。

祭神は、第十五代応神天皇、誉田別尊(ほんだわけのみこと、品陀別命とも書く)である。

伏拝の八幡神(はちまんしん)は、従来現在の神域におられた。

もと天児屋根命(あめのこやねのみこと)をまつり、春日神社(かすがじんじゃ)と称していた大字箕輪の神社は、明治四十二年四月に大字堂前の今宮神と大字伏拝の八幡神(はちまんしん)とを合祀して、三柱神社(みはしらじんじゃ)とした。

昭和二十五年四月、大字伏拝の現在地に新たに神社域と本殿を造営し、箕輪から八幡神(はちまんしん)にご帰還鎮座いただいて、伏拝八幡神社(はちまんじんじゃ)

大鳥居の内側には、しっかりとどっしりした狛犬 ()(うん)が神域を守護している。

八幡神(はちまんしん)は大分県御許山(おもとさん)に対する信仰に、新羅(しらぎ)系秦氏族の信仰が習合したという説が有力で、元はシャーマン性の強い信仰であったらしい。

また、新羅(しらぎ)系の信仰が仏教や道教の要素を濃くもっていたことから、八幡神(はちまんしん)を将来仏である菩薩をつけて八幡大菩薩(はちまんだいぼさつ)とも呼ばれる。

さらに八幡神(はちまんしん)は、応神天皇の化身だと主張されたことから、宇佐八幡神宮(大分県宇佐市)は、伊勢神宮に次ぐ皇室第二の宗廟として崇拝を受けるようになり、神社と言わずに神宮と称せられるようになった。

また、石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)(京都府八幡市)は朝廷守護の一社に列せられ、中世には、源氏が氏神として崇めたので、武門の神として武士に信仰が広まり、鶴岡八幡宮(つるおかはちまんぐう)(神奈川県鎌倉市)など、東国にも多くの八幡社(はちまんしゃ)が立てられた。

この三社を三代八幡宮といい、八幡神社(はちまんじんじゃ)は全国で約二万社余り有り、惣本宮は宇佐八幡宮(うさはちまんぐう)である。

第十五代応神天皇は、第十四代仲哀天皇と神功皇后との御子であり、倭名をホムダワケノミコトと言う。

「古事記」によると、仲哀天皇と神功皇后が熊襲(くまそ)退治で九州におられるとき、神功皇后が神託を乞うと、皇后の腹に懐胎する御子が天下を治めること、そして新羅(しらぎ)国と攻めよと告げられた。

神意の通りその後、新羅(しらぎ)百済(くだら)が大和朝廷に朝貢するようになった。

また応神天皇は、崇神王朝・仁徳王朝・継体王朝を統合し、万世一系の皇統を成立させたので祖神と崇められ、八幡神(はちまんしん)が応神天皇の化身となったのであろう。

応神天皇は、生まれたとき、肉が腕の上に盛り上がって鞆(ホムダ、弓を射るとき左手につける丸い革製のもの)のようであって、これを讃えてホムダワケと呼び、英雄が異相していることの別称である。

応神天皇の御陵墓は大阪府羽曳野市にあり、近くに誉田八幡宮(こんだはちまんぐう)がある。』

※ 境内掲示より


三体の石仏もありますので魅力的です。

由緒書きが充実しているので、やって来て良かったと思います。

また来ます。


関連情報レポートリンク

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