(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【:2020年03月02日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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北葛城郡河合町川合 廣瀬神社〔廣瀬大社〕


奈良県北葛城郡河合町川合に鎮座する「廣瀬神社(ひろせじんじゃ)廣瀬大社(ひろせたいしゃ)〕〔公式HP〕」です。

王寺から西へ進んでくると「廣瀬神社(ひろせじんじゃ)」の大きな看板が目に入りました。

参拝に行くかと向かったのですが、途中で北葛城郡河合町穴闇に鎮座する他の素盞鳴神社(すさのおじんじゃ)長林寺(ちょうりんじ)に参拝したので参拝ルートから外れてしまい、忘れていたのですがいつの間にやら参道の鳥居前に到着しました。

立派な赤い鳥居に参道が奥へと続いています。

参道途中にも境内社でしょうか、いくつかの神社が鎮座しています。

猛暑日ですが、参道はたいへん快適な環境でした。

鳥居脇の駐車場に車を停めたのですが、カメラのバッテリーがなくなり、歩いて戻るのは結構大変でした。


廣瀬神社(ひろせじんじゃ)

本殿 奈良県指定文化財(建造物)

砂かけ祭り 河合町指定文化財(無形民俗)

「日本書記」天武天皇四年(675)条に記事が見られる廣瀬神社(ひろせじんじゃ)は、奈良盆地の多くの河川が合流して大和川となる水上交通の要衝(ようしょう)に位置しています。

神社に伝わる「河相宮縁起」では崇神天皇の時代の創建とされています。

地理的条件や周辺の遺跡の状況から、遅くとも七世紀以前には既に信仰の母体となるものがあったと考えられます。

天武天皇四年に龍田の龍神とともに祭祀が行われて以降、戦国時代に途絶えるまで毎年四月と七月に朝廷より使者が遣わされ、祭祀が行われていました。

戦国時代から江戸時代初期にかけて一時衰退しますが、元禄元年に復興し、旧廣瀬郡の総氏神として広く崇敬を受けるようになりました。

祭神は主神が大忌神(おおいみのかみ)の異名を持つ若宇加能売命(わかうわのめのみこと)で、水の神、水田を守る神、五穀豊穣の神として篤く信仰されています。

神社に伝わる「和州廣瀬郡廣瀬大明神之図(わしゅうひろせぐんひろせだいみょうじんのず)」は室町時代に描かれたと推定されますが、この絵図には八町四方の四位に鳥居を建てた広壮な姿が描かれています。

また本殿は、三殿が並ぶ姿に描かれ、相殿に櫛玉比売命(くしたまひめのみこと)穂雷命(ほのいかづちのみこと)を祀っています。

永正三年(1506)の戦乱により往時の建物は灰塵(かいじん)

現在に残る最古の建物は、正徳元年(1711)に造営された本殿です。

この本殿は一間社(いっけんしゃ)春日造(かすがづくり)の様式をよく伝えるものとして、昭和六十三年(1988)三月二十二日に奈良県指定文化財(建造物)に指定されました。

毎年二月二十一日に行われる砂かけ祭りは御田植祭(おたうえさい)で、砂を雨に見立ててかけ合い五穀豊穣を祈る祭りです。

この祭りは河合町の歴史を考える上で重要なものとして、平成二十一年(2009)十二月十一日河合町指定無形民俗文化財に指定されました。

河合町・河合町教育委員会

河合町観光ボランティアガイドの会』

※ 境内掲示より


内容はほぼ同じですがもう一枚説明書きがります。


廣瀬神社(ひろせじんじゃ)

本殿 奈良県指定文化財(建造物)

砂かけ祭り 河合町指定文化財(無形民俗)

廣瀬神社(ひろせじんじゃ)は、奈良盆地の多くの河川が合流して大和川となる水上交通の要衝に位置しています。

神社の西方には明治の中頃まで「川合浜」という船着き場があり、物資の集散地として賑わっていました。

「河相宮縁起」では崇神天皇の時代に創建されたとされ、「日本書紀」天武天皇四年(675)条に、龍田の風神とともに祭祀をおこなった記事が見られます。

その後、戦国時代に途絶えるまで毎年四月と七月に朝廷より使者が遣わされ、祭祀が行われていました。

戦国時代から江戸初期にかけて一時衰退しますが、元禄年間に復興し、旧廣瀬郡の総氏神として広く崇敬を受けるようになりました。

祭神は大忌神(おおいみのかみ)の異名を持つ若宇加能売命(わかうわのめのみこと)で、水の神、水田を守る神、五穀豊穣の神として篤く信仰されています。

神社に伝わる「和州廣瀬郡廣瀬大明神之図(わしゅうひろせぐんひろせだいみょうじんのず)」は室町時代に描かれたと推定されますが、この絵図には八町四方の四位に鳥居を建てた広壮な姿が描かれています。

また本殿は、三殿が並ぶ姿に描かれ、相殿に櫛玉比売命(くしたまひめのみこと)穂雷命(ほのいかづちのみこと)を祀っています。

永正三年(1506)の戦乱により往時の建物は灰塵(かいじん)

現在に残る最古の建物は、正徳元年(1711)に造営された本殿です。

この本殿は一間社(いっけんしゃ)春日造(かすがづくり)の様式をよく伝えるものとして、昭和六十三年(1988)三月二十二日に奈良県指定文化財(建造物)に指定されました。

毎年二月二十一日に行われる砂かけ祭りは御田植祭(おたうえさい)で、砂を雨に見立ててかけ合い五穀豊穣を祈る祭りです。

この祭りは河合町の歴史を考える上で重要なものとして、平成二十一年(2009)十二月十一日河合町指定無形民俗文化財に指定されました。』

※ 境内掲示より


「ふけたがわ」に太鼓橋の「ひろせばし」が掛かっていて、そこから見える森に摂社の「水分神社(みくまりじんじゃ)」が鎮座していました。


関連情報レポートリンク

【奈良県北葛城郡 神社一覧】