(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【:2019年12月30日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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吉野郡東吉野村鷲家 天誅組遺跡〔天誅組 終焉之地〕


奈良県吉野郡東吉野村鷲家にある「天誅組遺跡(てんちゅうぐみいせき)天誅組(てんちゅうぐみ) 終焉之地(しゅうえんのち)〕」です。

前回は菟田野の「水分桜(みくまりさくら)」を見に来て「仏隆寺(ぶつりゅうじ)」に向かっていると思って東吉野村を進んでしまい「伊勢街道 天誅組史跡公園・天誅組遺跡」で初めて「天誅組(てんちゅうぐみ)」のことを知りました。

幕末ですから歴史の授業がそこまで行かなかったような気がします。


『東吉野村は、幕末の当時、憂国の志士が幕藩体制を排して国家行政の抜本的改革を目指して、その思想と行動に殉じた地である。

即ち文久三年(1863)八月、孝明天皇の神武山陵参詣を機に、倒幕の先鋒と称して、中山忠光卿を主将とし、藤本鉄石、松本奎堂、吉村寅太郎の三士を総裁とした「天誅組(てんちゅうぐみ)」が五条に旗揚げをしたが、「七卿の都落ち」に象徴される政変に依り、事、志に違い幕軍の追討を受けて吉野山間を転戦、同年九月二十四日から二十七日にかけて、当村内に於いて三総裁以下十五武士が戦死、「天誅組(てんちゅうぐみ)」は、茲に終焉を見る。

しかし、やがて時は経ずして展開された明治維新大業の魁となり、現代日本繁栄の原動力となった事は、その後の歴史が物語っている。

東吉野村

東吉野村天誅組顕彰会』

※ 境内掲示より



天誅組遺跡(てんちゅうぐみいせき)

文久三年(1863)九月二十七日、天誅組主将中山忠光卿らの安否を気づかい、木津川より山越えをしてここまでたどり着いた総裁吉村寅太郎は、大岩(寅太郎原えい処)の下流約三十メートル左岸の山際にあった薪小屋に潜伏休憩中に発見密告され、藤堂勢金屋健吉の手の銃弾にて無念の最期を遂げた』

※ 境内掲示より


それにしてもでかい岩です。

磐座ではないでしょうか。

この場所がランドマークになった理由が理解できそうです。