(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【:2019年11月20日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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宇陀市大宇陀春日 秋山城主之碑〔慶恩寺〕


奈良県宇陀市大宇陀春日にある「秋山城主之碑〔慶恩寺(けいおんじ)〕」です。

慶恩寺(けいおんじ)の駐車場に巨大な秋山城主之碑と碑文がありました。

碑文には以下のように彫られていました。


『中興南北朝時代宇陀の地は東國及び伊勢、伊賀両國より吉野賀名庄に在りし南朝の行宮に通ずる要衝として最重要なる位置にありたり

甲斐源氏なる秋山光時、その子親直は伊勢國司北畠中院顕能郷の麾下として各地に転戦し、その軍功を賞せられ正平元年(1346)二十九歳の親直が宇陀秋山城主となりたり

而して親直は在来より郷土澤氏、芳野氏と共に宇陀三将と称せられ、且つ宇陀官軍の総将として哀運の吉野朝を扶翼し奉らんとその守護に任じ勲功最たり

降りて直國に二子あり、伯を直周季を政武と号す

時恰も天正十三年(1585)豊臣秀長公、郡山城主となるに及び筒井順慶等と共に大和旧勢力の追放に遭ひ、秋山城を退去せり

以来幾多の変遷を経て直周の裔、瓦口秋山氏、政武の裔、越部秋山氏等両家の一族一門及び郷土愛の有志等により、数年前秋山会結成され、会員の一義により遠祖顕彰の碑、建立の運びにいたる、誠に壮というべし

因に東大寺再建の大勧進職俊乗坊重源が開山の当慶恩寺(けいおんじ)は秋山城主の菩提所にして境内の奥松拍の下、今も尚秋山公の宝塔を祀る

昭和四十七年 秋

郷土史家 岡田耕而 撰文』

※ 境内掲示より


すぐ南にある城山の山頂部に城跡があります。

松山城跡と秋山城跡の二通りの表現があるようで、私がこの周辺に辿り着けなかった理由がこの辺りにあるのでしょうか。