(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【:2019年09月24日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


xHOTZONE Go to xDataBase viewhalloo Tips p2pzigzag p2pzigzag hrkz p2pzigzag Go to Home evtcal reporter2

磯城郡川西町結崎 面塚


奈良県磯城郡川西町結崎にある「面塚(めんづか)」です。

寺川の北側の堤防を歩いていたのですが、向かい側の堤防上に看板が見えたので橋を渡ってやってきました。

歩いている途中で橋から少し離れたところにも何やら石碑などがあるのが伺えたので確認に行くと同じく「面塚(めんづか)」と「観世発祥之地」の碑がありました。

「観阿弥」と言えば、名張市の近鉄大阪線美旗駅から南方に観阿弥ふるさと公園〔観阿弥創座の地〕がありました。


面塚(めんづか)の由来

能楽は足利義光ら室町将軍家の庇護を受けてか観阿弥・世阿弥親子が猿楽を幽玄華麗な芸道にまで高めたものです。

「観世小次郎画像賛」「観世家譜」等によれば、>伊賀国小波多に座を立てた観阿弥がこの結崎の地に移住し、ここで世阿弥が生まれたといい、「室生座系図」では観阿弥が観世家を継ぎ、結崎の地に知行地を得たと言われています。

いずれにしても当地には古くから「翁の面と葱が天から降り、その面を埋めたのがこの塚である」という伝承がありました。

そのため昭和十一年(1936)12月十四日、当時の村役場が奔走して観世流二十四世宗家観世左近(元滋)氏の揮毫による「観世発祥之地」「面塚」二つの標石を建立しました。

現在の面塚は、寺川の回収により二回移転しており、後に整備された面塚記念公園とともに、住民憩いの場としても親しまれています。

川西町教育委員会』

※ 境内掲示より



面塚(めんづか) 観世発祥の地

いつの世の頃にか、この地に天から「翁の面とねぎ種」が降って来たとの伝承があり、「面塚(めんづか)」と称した、伊賀国小波多に座を創った観阿弥、世阿弥父子がこの地に移り、結崎座と称して芸道に精進した本拠の地の跡である。

観阿弥父子はここより南都春日大社、興福寺の能に参勤し、その後京都今熊野の能に於いて室町幕府三代将軍足利義満に見出されその知遇を得て益々円熟の芸境に到達していくのである。

大和にはこの結崎座の他に、円満井「金春」、外山「室生」、坂戸「金剛」の三座があり、いずれもが南都の能に参勤していた。これらを大和猿楽の四座と称する。

もっとも古来面塚伝承の地はここより北へ約 10m の所にあって昭和十一年五月観世流二十四世宗家観世左近師の筆跡により「面塚」・「観世発祥之地」の二碑を建立しましたされたが、その後昭和三十年寺川の改修工事のため、現在の地に移された。

川西町教育委員会』

※ 境内掲示より


私は文化人とは程遠い人間なので、残念ながら文藝の知識も情報もないことは間違いないのですが、よく考えると興味もありません。

残念です。