(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【:2019年02月04日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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磯城郡川西町下永 八幡神社


奈良県磯城郡川西町下永に鎮座する「八幡神社(はちまんじんじゃ)」です。

初訪問の川西町の最後にと参拝しようとしたのですが、アクセス経路が解り難いうえに工事中で回り道をしなくては行けなくて、散々悩んだ挙句に集落内の狭隘な道を進んできました。

駐車余地があったので助かりました。

参道入り口になると思うのですが、参道脇の二本の樹木の間に酒蔵に吊るされている杉玉のようなものがあります。

何処かでも見かけたような気がするのですが、明確な記憶がありません。


『川西町 町・村の歴史 大字 下永(しもなが)(東城(ひがしんじょう))

下永(しもなが)東城(ひがしんじょう)は、旧下永村の旧初瀬川(はせがわ)(現在の大和川(やまとがわ))左岸にある東城(ひがしんじょう)垣内(かいと)である。

下永村は古くは、公式な中世文書「下長村」として登場し、その後千七百年代に「下永村」となる。

東城(ひがしんじょう)の地名は、西城(にしんじょう)とともに外敵の侵入を防ぐ砦が築かれていたことに由来すると伝えられている。

東城(ひがしんじょう)には、八幡神社(はちまんじんじゃ)が鎮座している。

元は旧初瀬川(はせがわ)右岸東方(ひがしほう)の小字高堂に神宮寺の白米密寺(はくまいみつじ)と並んであったと伝えられている。

白米密寺(はくまいみつじ)旧蔵の遺物のうち、仏像は東城(ひがしんじょう)地蔵堂(じぞうどう)、石造物は東方(ひがしほう)教願寺(きょうがんじ)にある。

その後、東城(ひがしんじょう)に移った八幡神社(はちまんじんじゃ)境内に地蔵堂(じぞうどう)(収蔵庫)が建てられ、収蔵庫内には、「白米密寺(はくまいみつじ) 住職巌」の名が印された天明八年(1788)の水船、平安時代の阿弥陀如来(あみだにょらい)坐像(ざぞう)地蔵菩薩(じぞうぼさつ)立像(りゅうぞう)(国重文)、鎌倉時代の不動明王(ふどうみょうおう)立像(りゅうぞう)(県文化財)が保存されている。

又、この八幡神社(はちまんじんじゃ)境内には、江戸時代後期、孝明天皇から「日本一の石工」と称賛された丹波出身の旅の石工「丹波佐吉」の作品「獅子・狛犬」がある。

作品の特徴としては、骨格ががっちりしていて、高く胸を張り、大腿部を低くして隙がない。

両眼は深く引っ込み、目つきが鋭い。

頭部から顎部にかけての巻毛は大きく渦を巻き、流れ毛も豊かで際立って浮き上がり、佐吉特有の細かな技法を見せている。』

※ 境内掲示より



八幡神社(はちまんじんじゃ)

境内社は、熊野神社と愛宕神社、前者は伊邪那美命(いざなみのみこと)、後者は加具津智命命(かぐつちのみこと)を祭神としており、広さ約1000平方メートルという広大な敷地をもつ神社です。

社前には石灯篭が三十基、整然と並んでいますが、ほとんどが幕末の天保、弘化から明治初年のものです。

白米密寺(はくまいみつじ)の仏像を収める収蔵庫が昭和四十三年に建てられました。

境外の南には神前型大石灯、地蔵堂前には神前型常夜灯があります。

そのほか石造物の水舟、狛犬、百度石や神鏡三面、鉄製釣灯篭が残されています。

当家の組織があり古文書には猿楽のことが記されています。

平成五年(1993)四月 川西町教育委員会』

※ 境内掲示より


地図を見ていると隣接してお寺があるように思ったのですが、境内にある白米密寺(はくまいみつじ)の収蔵庫などが地図記号として記載されているようです。

興味深い内容が書かれていて読んでいて楽しくなります。

嬉しいことです。


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