
奈良県奈良市柳生町にある「天石立神社」です。
この神社は鎮座地が解っていたのですが、土地勘がなく不案内でアクセス経路を見出すことができずに参拝できずにいました。
四十年程以前に十兵衛杉には数回訪問しているのですが、「枯れてるな」で他所を参拝したりすることはありませんでした。
神社へ至る道路も初めて通ったことに気付きました。

『天の石立神社
ここは柳生家の修練の場といわれています。
この谷には、巨岩が重塁しており、前伏磐、前立磐と後立磐からなる巨石を天の石立神社の御神体として祀っています。
延喜式神名帳にも記されている式内社で、手力男之命が開いたという天の石戸の扉が空を飛んでここに落ちたという伝説がある自然信仰の貴重な神社です。』
※ 境内掲示より

『式内 天乃石立神社
柳生戸岩谷の天乃石立神社は、延喜式神名帳に記載されている式内社である。
延喜式は一千年前延長年間に撰せられたもので、その神名帳には、全国の官国幣社二千百三十二座を記載しているが、戸岩谷の天乃石立神社も小社としてその中に加わっている。
天乃石立神社の祭神は、天照大御神、豊磐門戸命、櫛磐門戸命、天磐戸別命となっているが、神体は扉の形をした巨岩(花崗岩)、前伏盤、前立盤、後立盤の三つに割れている。
前立盤は高さ六メートル、幅七.三メートル、厚さ一.二メートルあって、全体が扉の形をしている。
伝説によると、神代の昔、高天原で手力雄命が天岩戸を引き開けたとき力余ってその扉石が虚空を飛来し、この地に落ちたのだという。
巨石崇拝の好適例で、古来土地の人達の進行は深く強いものがあった。
正保二年(1645)但馬守宗炬は、参道を修理して並木を植えているし、宝永二年(1705)柳生宗弘(のち藩主俊方)は、能舞台を建て、石燈籠を寄進し、寛保二年(1742)藩主俊平も、石燈籠を寄進している。』
※ 境内掲示より

『式内社
天石立神社
戸磐明神、戸岩谷神社、神戸岩神社ともいう御門の守護神である。
天石門別神と同じ神である。
延喜式神名帳に記す式内社で四座の神
天照大御神(日向神社)〔きんちゃく岩〕
豊磐門戸命(天石立神社)
櫛磐門戸命(天石吸神社)
天磐戸別命(石立神社)
総称し天石立神社という。
昭和五十九年五月吉日 氏子総代』
※ 境内掲示より

『一刀岩
この大きな岩は花崗岩ですが、中央で見事に割れています。
一説によると柳生新陰流の始祖柳生宗厳(石舟齋)が天狗を相手に剣の修業をしていて、天狗と思って切ったのがこの岩だったと伝えられている。』
※ 境内掲示より
なんとも凄い景観の境内です。
途中に芳徳寺という道標がありましたが、道路沿いから行けたような気がします。