(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【:2018年10月26日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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奈良市此瀬町 史跡 太安萬侶墓


奈良県奈良市此瀬町にある「史跡 太安萬侶墓(おおのやすまろのはか)」です。

何回か訪問しようとして場所がわからず困り切っていたのですが、前回この前を通ったら真新しい建物(便所)があるのに気づきました。

ひょっとしたらと思っていたのですが、なかなかこちら方面に来ることがなかったのですが、帰路に早く通りかかり訪問できました。

それにしても本音でいうと「こんなところに本当か」という気持ちが勝ちます。


史跡 太安萬侶墓(おおのやすまろのはか)

太安萬侶墓(おおのやすまろのはか)は、東山山中の田原の里にい所在する奈良時代の火葬墓である。

昭和五十四年一月、竹西英夫氏によって茶の改植中に発見されたもので、出土した銅製墓誌により、古事記の編者として有名な太安萬侶(おおのやすまろ)の墓であることが明らかになった。

墓誌には「左京四條四坊従四位下勲五等太朝臣安萬侶以癸亥年七月六日卒之養老七年(723)十二月十五日乙巳」の四十一文字が刻まれ、居住地、位階と勲等、死亡年月日、埋葬年月日を記してある。

墳丘は直径4.5mの円墳と推定され、埋葬施設は中心部に墓拡を掘り、底に木炭を敷いて墓誌を置き、その上に木櫃(きびつ)を安置し、四周と上面を木炭で覆った木炭槨であった。

さらに、その上の墓拡全体にうすく木炭を敷いた後、砂質土を版築状に硬くつき固め、木櫃(きびつ)の中には火葬骨、真珠等が収めてあった。

奈良時代の上級官人の墓としては、このように規模、構造、遺物の出土状況が明らかにされた例は極めて稀であり、昭和五十五年二月十九日史跡に指定された。

昭和五十六年十一月

奈良県教育委員会』

※ 境内掲示より


そう言えば宇陀市榛原山辺三の「山部赤人の墓」なんて、とんでもない場所だと思いました。

宇陀市榛原八滝の「文祢麻呂墓」もなんでこんな場所にと思いました。

それぞれの地を選択して墓を作った理由というか、その時代にこんな場所に来ていたということのほうが驚きです。

その時代の景色を見てみたいと思います。

それが可能であればそれぞれの場所を定めて墓を作った理由も解るのではないかと思います。

私は現在位置で自動車で来れない時代を想像すると絶対に此処には墓を作りません。