(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【:2018年05月07日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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橿原市東池尻町 東池尻・池之内遺跡(磐余池推定地)


奈良県橿原市東池尻町にある「東池尻(ひがしいけじり)池之内(いけのうち)遺跡(磐余池(いわれいけ)推定地)」です。

香久山の周囲を廻ってきましたが、何やら石燈籠が参道に並んでいる姿を見つけて道標に「御厨子観音(みずしかんのん)」を見つけたのですが、既に参拝していることに気付きませんでした。

集落内は車の通行を禁じられているので徒歩で参拝に向かったのですが、途中で既に参拝していることに気付きました。

視点が変わると解らないということですね。


東池尻(ひがしいけじり)池之内(いけのうち)遺跡(磐余池(いわれいけ)推定地)

古代に築かれた巨大な人工池の跡です。

戒外川の東岸から西方の御厨子神社(みずしじんじゃ)が位置する丘陵にかけて、長さ約300m、幅約20 - 55m、高さ約2 - 3mの土手状の「高まり」が存在しています。

南に広がる谷を塞ぐ位置にある、この「高まり」が池の堤の跡です。

堤は丘陵の延長部分に盛土を施して築かれています。

現在、堤の上は畑や宅地に、池の部分は水田となっています。

堤は六世紀後半には存在しており、堤の上では六世紀後半から七世紀前半の建物や塀が多数発見されています。

藤原京(ふじわらきょう)の時代(七世紀末から八世紀初頭)には、堤の一角に水量調整用と考えられる深さ4m以上の大溝が掘られています。

堤の外(北)側の据付近には石敷が施されている地点もあります。

池は12から13世紀頃には埋没して耕作地になったようです。

この池は「日本書紀」や「万葉集」にたびたび登場する「磐余池(いわれいけ)」にあたるのではないかと考えられています。

平成二十七年(2015)三月 橿原市教育委員会』

※ 境内掲示より


道路を挟んで小さな地蔵尊の祠があります。

大和政権の発祥の地とされているこの周辺は史跡が数多くあります。

為政者の歴史の凝縮された地です。