
奈良県山辺郡山添村毛原にある「毛原廃寺跡」です。
八阪神社脇の細い道を下った場所から難儀して辿り着きました。
それにしても、私にしたらこんな山奥にという気持ちでいっぱいです。
本当に人のすることは想像を遥かに超えたものであることが実感できます。
驚きを禁じ得ません。

『国指定史跡(大正十五年十月二十日指定)
毛原廃寺跡
(毛原区)
笠間川を眼下にみる山麓に、奈良時代帝都の大寺院に比肩する堂々とした七堂伽藍が、毛原に建立されていたことを立証する金堂跡(七間四面)、中門跡(五間二面)、南門跡(五間二面)の礎石が当時のまま残っている。
金堂の規模は、礎石の配列から唐招提寺金堂に比すべき大きさを持っていたと考えられる。
そのほか、西塔跡(礎石埋没)、講堂跡(推定)、鐘楼跡(伝承)などがあり、近く水田からは五間四面の食堂跡を物語る礎石が発見されている。
この食堂跡礎石は昭和十三年に売却され、行方知れずとなっていたが、昭和四十七年、七個の礎石が西宮市の黒川古文化財研究所から地元へ寄贈を受け、毛原のふるさとに戻された。
また、出土した軒丸瓦(蓮華文様)、軒平瓦(唐草文様)はいづれも奈良時代後期のものと考えられる。
毛原廃寺に関する文書記録はないが、奈良大仏殿建立のため勅施入された東大寺領板蝿の杣の境域内にあったことから、東大寺の杣支配所とも考えられ、奈良時代の大寺の遺跡として見るべきものがある。
山添村』
※ 境内掲示より
訪問してこそ解ることです。