(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【:2017年12月08日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


xHOTZONE Go to xDataBase viewhalloo Tips p2pzigzag p2pzigzag hrkz p2pzigzag Go to Home evtcal reporter2

山辺郡山添村毛原 毛原廃寺跡


奈良県山辺郡山添村毛原にある「毛原廃寺(けはらはいじ)跡」です。

八阪神社(やさかじんじゃ)脇の細い道を下った場所から難儀して辿り着きました。

それにしても、私にしたらこんな山奥にという気持ちでいっぱいです。

本当に人のすることは想像を遥かに超えたものであることが実感できます。

驚きを禁じ得ません。


『国指定史跡(大正十五年十月二十日指定)

毛原廃寺(けはらはいじ)

  (毛原区)

笠間川を眼下にみる山麓に、奈良時代帝都の大寺院に比肩(ひけん)する堂々とした七堂伽藍(しちどうがらん)が、毛原に建立されていたことを立証する金堂(こんどう)跡(七間四面)、中門(なかもん)跡(五間二面)、南門(なんもん)跡(五間二面)の礎石(そせき)が当時のまま残っている。

金堂(こんどう)の規模は、礎石(そせき)の配列から唐招提寺(とうしょうだいじ)金堂(こんどう)に比すべき大きさを持っていたと考えられる。

そのほか、西塔(にしとう)跡(礎石埋没)、講堂(こうどう)跡(推定)、鐘楼(しょうろう)跡(伝承)などがあり、近く水田からは五間四面の食堂(じきどう)跡を物語る礎石(そせき)が発見されている。

この食堂(じきどう)跡礎石は昭和十三年に売却され、行方知れずとなっていたが、昭和四十七年、七個の礎石(そせき)が西宮市の黒川古文化財研究所から地元へ寄贈を受け、毛原のふるさとに戻された。

また、出土した軒丸瓦(のきまるがわら)蓮華(れんげ)文様)、軒平瓦(のきひらがわら)唐草(からくさ)文様)はいづれも奈良時代後期のものと考えられる。

毛原廃寺(けはらはいじ)に関する文書記録はないが、奈良大仏殿建立のため勅施入(ちょくせにゅう)された東大寺(とうだいじ)板蝿(いたばえ)の杣の境域内にあったことから、東大寺(とうだいじ)(そま)支配所とも考えられ、奈良時代の大寺の遺跡として見るべきものがある。

山添村』

※ 境内掲示より


訪問してこそ解ることです。


関連情報レポートリンク

【山辺郡山添村 寺院一覧】

【★】は、参拝は、不可、又は事前連絡要の寺院