(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【:2017年11月07日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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宇陀市榛原八滝 史跡 文祢麻呂墓


奈良県宇陀市榛原八滝にある「史跡 文祢麻呂(ふみのねまろ)墓」です。

同じく榛原八滝に鎮座する五社神社(ごしゃじんじゃ)の鳥居脇に道標があったのですが、未知の存在で途中で道の舗装も終わってしまい、歩いて登ってきました。

まだ訪問していませんが太安萬侶(おおのやすまろ)墓も、山の斜面にあります。

ここから先は山へ入ってしまい行き止まりです。


史跡 文祢麻呂(ふみのねまろ)

(昭和五十九年四月五日 史跡指定)

文祢麻呂(ふみのねまろ)は、「日本書紀」、「職日本記」にも登場する人物で、壬申の乱(672)では、大海人皇子(後の天武天皇)の軍で活躍した将軍の一人である。

天保二年(1831)に偶然、墓誌がが入った銅箱、金銅壺(こんどうつぼ)などが発見され、金銅壺(こんどうつぼ)の中には、火葬骨が入ったガラス製の壺(骨蔵器)が納められていた。

墓誌には、「壬申年将軍左衛士府督正四位上文祢麻呂忌寸慶雲四年歳次丁未九月廿一日卆」と刻まれ、ここが慶雲四年(707)に亡くなった文祢麻呂(ふみのねまろ)の墳墓であることが明らかにとなった。

昭和五十七年(1982)、発掘調査を行ったところ、一辺約2.5mの土壙(穴)とこれを埋めた粘土などがみつかった。

その結果、墓は、堅炭の上に銅箱、金銅壺(こんどうつぼ)などを置き、この周辺を木炭、砂質土で埋め、最後は粘土で全体を覆う構造であったことがわかった。

文祢麻呂(ふみのねまろ)墓、代表的な古代の墳墓であり、当時の上級官人の埋葬方法が明らかとなった数少ない例として大変貴重な遺跡である。

文化庁

宇陀市教育委員会』

※ 境内掲示より


どういう理由でここを墓の場所と決めて作って葬ったのでしょうか。

土葬ではなく火葬というのが日本では古くから行われていたことが解るのでしょう。