(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【:2017年10月11日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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奈良市東向中町 行基菩薩噴水


奈良県奈良市東向中町にある「行基菩薩(ぎょうきぼさつ)噴水」です。

かなり何回も写真を撮った記憶があり、とっくにレポートしていると思っていたのですが、意外や意外に漏れていました。

この日は噴水脇で安倍政権に対するお友達利益供与を追及する集会が開かれていたので残念ながらこの角度の写真しかありません。

近鉄奈良駅の東側出口を地上へ上がってくると嫌でも目に入ります。


行基菩薩(ぎょうきぼさつ)の噴水

製作者

行基菩薩(ぎょうきぼさつ) 日展彫刻家 中西 重久

噴水陶板 赤膚焼窯元 大塩 正人

この噴水は奈良時代に僧として布教に務めるかたわら伝導と結びついた大規模な土木開発事業や社会福祉事業など数多くの業績を残し、天平十五年廬舎那仏(大仏)造営の勧進に起用され、同十七年大僧正に任ぜられた行基( 668 - 749 )の遺徳を偲びあわせて近鉄奈良駅前再開発事業の完成を記念して昭和四十五年三月東大寺(とうだいじ)大仏殿に向いて立つ行基菩薩(ぎょうきぼさつ)をモチーフにしてつくられました。

この行基菩薩(ぎょうきぼさつ)の噴水が奈良の名所として将来にわたり益を多くの人々から親しまれることを願い、この度新たにブロンズ像を建立したものであります。

平成七年三月

奈良市』

※ 境内掲示より


行基菩薩(ぎょうきぼさつ)

行基菩薩(ぎょうきぼさつ)は天智天皇の七年(668)に大阪府の堺市に生まれ、十五才ににして奈良京薬師寺(やくしじ)に入り、仏道修行とその研究に励み、二十四才で受戒得度をされた。

仏教の学問をよく究め天皇の尊敬を受け現在の平城の聖域に遷都することを奏し、元明天皇の和銅三年(710)に平城遷都した

その造営にあたり先ず南都諸大寺の移建と建立、例えば薬師寺(やくしじ)大安寺(だいあんじ)>の移建を初め興福寺(こうふくじ)元興寺(がんごうじ)及び総国分寺(そうこくぶんじ)東大寺(とうだいじ)の建立等四十八ヶ大寺院を建立された。

その他、全国にわたり開基した寺院・道場は約七百におよぶといわれている。

一方、民生社会事業としても実践主義に徹し、庶民を強化し人のために、橋をかけ、堤を築き、池を掘り、日本最初の独孤院(どっこいん)や日本地図を作った。

又、飢えと厄病に苦しんでいる庶民の救済として布施屋(ふせや)(宿泊所)、施薬院(せやくいん)などの社会の為の事業を次々に行い庶民の信仰を深め、奈良朝に於ける国民思想の確立を計画され、唐朝の文明文化を輸入し、奈良朝文化に貢献された恩人である。

今日の庶民仏教と社会福祉の基を開いたのは、実に行基菩薩(ぎょうきぼさつ)であると仰がれている聖武天皇天平二十一年(749)八十二才のとき奈良西郊の菅原寺(すがわらでら)で数千の弟子に囲まれ戦化し、生駒の往生院(おうじょういん)に葬られたが、その生涯かけての業績の偉大さは千二百有余年の今日もなほ多数のの中に人々の心行基菩薩(ぎょうきぼさつ)は生きているのである。

昭和四十五年三月

奈良市長 鍵田忠三郎』

※ 境内掲示より


空海(弘法大師)の名前もあちらこちらで見かけるのですが、行基(ぎょうき)という名前も至る所で見かけます。

偉大な人であったのでしょうね。