(話題、視点、論点)View halloo!!:狐狩りの時の「ほら出たぞー」という掛け声 【:2017年10月03日】







昨今のインターネット上のHTTPS接続の推奨等の動きは悪くないと思うのですが、不安を煽って必要のない閲覧のみのページも巻き込まれていくようです。

私も齢を重ねてまいりました。

寺社仏閣史跡等の訪問レポートを書き溜めているのですが、2022年まで溜まってしまいました。

この際、それまでに死亡すれば別ですが、2022年末をもってサイト閉鎖する決心を致しました。

ありがとうございました。


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奈良市古市町 奈良県護国神社〔周辺史跡〕


奈良県奈良市古市町に鎮座する「奈良県護国神社(ならけんごこくじんじゃ)〔周辺史跡〕」です。

奈良県護国神社(ならけんごこくじんじゃ)の境内や周辺の歴史情報です。

広大な境内を有する護国神社(ごこくじんじゃ)には、積み重なった歴史の重みが満載のようです。

興味深い内容が満載です。


奈良県護国神社(ならけんごこくじんじゃ)

山の辺の道 北道

奈良盆地東部の春日山山系の山麓を南北に連なる古道で、一般に石上神宮(いそのかみじんぐう)以北を山の辺の道北道と呼ぶ。

北端から若草山・御蓋山・春日山と連なる。

続いて高円山が位置し石上神宮の鎮まる布留山に至る。

この青垣の山並みに、大和青垣国定公園に指定され、まほろばの情景をかもし出している。

古来、この古道には多くの壮絶な戦乱事変が、様々な男女の愛憎が織り成すドラマが去来した。

道筋には国家創成期からの宮址、古社、古刹、巨大古墳・遺跡が存在しており、多くの事蹟や物語り、更には約百五十首の万葉歌が詠まれ語り継がれて、現代に生きる私達は無限の恩恵をこうむっている。

こうした古代を偲びたい。

東市が生んだ国学者北浦定政

定政は国学者で、百姓から身を起こし、十五歳で藤堂藩古市奉行所に出社し藩士にとりたてられ山稜研究者として名を成した。

墓は春日苑一丁目西側の墓地にある。

江戸時代後期の陵墓・条理・宮址研究家として名を成した。

その業績は平城京(へいじょうきょう)址や条理研究の出発点となった。

幕府から天皇陵の調査を命ぜられ、彼の著した「山稜精考」には神武天皇量は、現在の天の量の南西部の丸山説をとっている。

晩年には光仁天皇陵など荒廃した陵の整備に尽力した。

風雲児 古市澄胤

古市城に拠点を置く、戦国豪族の古市氏の中で澄胤は傑出した興福寺衆徒の戦国武将であった。

北大和の雄、筒井氏と対立圧倒して大和守護代を獲得し大和の覇をとなえた。

澄胤は一世の風雲児で戦国文化のはしりといわれ商工座衆や馬借集団を掌握し応仁の乱後復興に京都は物質を運び巨利を得、将軍家に参し文化芸能人を招き、今流の総合商社であった。

能楽金春・釜植村田珠光に師事した。

外部勢力の大和侵攻に組し、国家の反感を招き、後に筒井氏の反撃を受けた。

晩年、河内の高屋城を攻めて討死にした。

古市古墳群

池の中にある島は古墳である。

境内と周辺に現存の古墳が五基と、消滅した古墳九基の計十四基が確認されている。

この地域は五世紀・六世紀の古代豪族である小野氏の拠点とされ、これらの古墳群は小野氏の墳墓とされる。

小野氏は皇室から別れ、ほぼ全国に支配地を持ち、多くの皇后や奴を輩出した和雨氏の一族で、後の世の飛鳥時代には小野妹子や、平安時代の名筆家の小野道風や絶世の美女とされた六歌仙の一人小野小町など多くの偉人を輩出した。

特に古市方墳は四百年前後頃の築造で鏡が五面・鋳物・勾玉などが出土しており、神功皇后の朝鮮出兵と時刻が重なる。

戦国時代の油山城址と古戦場

境内にあった油山城は、戦国初期に古市一帯を支配した。

豪族古市氏の本拠の古市城(現古市小学校)の支城で油山氏の居城であった。

古市氏と筒井氏の宿命的な抗争で、この油山城も1520年に筒井氏軍勢に攻められ落城し、この戦で古市公胤は討死にした。

油山の字名が残る。』

※ 境内掲示より


この周辺にはかなりの歴史があるようです。